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編集支援:阿部匡宏 |
編集:岩田忠利 NO.172 2014.8.20 掲載 |
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昭和10年慶大グラウンド前駅
(現池上線「千鳥町駅」)
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沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』の好評連載“復刻版”
掲載記事:平成3年4月15日発行本誌No.53 号名「朴(ほう)」
構成・編集 :岩田忠利(編集長) / イラスト ・マップ:石野英夫(元住吉)
取材:復元:木村敦郎(編集室・松原団地)
協力:岩沢静子/佐々木孝/木村イセ/原田義行
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慶大グラウンドが日吉に移る前後のこと
話す人:木村イセ(81歳。千鳥1丁目)
昭和10年当時はこの辺にも家が少しずつ建ち始めていたとはいえ、まだまだ田舎。
池上線は1両で、うちから田んぼの中を走る電車が見えたほどです。
うちは材木店をやっていたので荷馬車が深川から材木を運んできていました。他の店に出入りする荷馬車も多く、舗装されていない道は雨が降れば水溜り、お天気になれば砂ぼこりで目を開けていられないほどでした。
私がここへ嫁にきたのは昭和4年。当時は慶応大学の野球場やラグビー部、一周400bの陸上部の運動場があり、駅名は「慶大グラウンド前」でした。
六郷用水にはザリガニ・タニシ・カエルが沢山いたし、夏にはホタル、うちの前の丘には野鳥が多く、ウグイスも鳴いていました。当時からこの辺は湧水が豊富で、良い水でしたねえ。
楽しみといえば、近くにあった慶応大と慈恵医大の運動会を毎年秋に見に行ったり、活動写真を蒲田まで観に行ったり……。
昭和12年に慶応のグラウンドが日吉に移ってからは駅名が「千鳥町」になりましたが、たくさんの新住民の方々が新天地を求めて都心から引っ越してきました。
とくに日本橋や深川からの人が多かったので、親しみと助け合いの心のある独特な人情がありました。
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昭和29年4月、千鳥町駅前上空から多摩川線武蔵新田駅方面を望む
中央に千鳥町駅舎。その後方、畑越しに千鳥小学校。その右手に日本精工鰍フ社員寮、右上に目蒲線(現多摩川線)の線路が見えます。まだ高層ビルはなく、畑や空き地が目立ちます。
提供:長久保 清さん(横浜市泉区緑園)
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昭和3年「慶大グラウンド前駅」駅名標示板
「千鳥町駅」の前身、「慶大グラウンド前駅」ホームに立つ慶大OB・前川丈夫さん
提供:前川丈夫さん(横浜市神奈川区西寺尾)
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昭和29年4月、千鳥町駅で電車を待つ人
スカートで下駄履き姿の女性、スコップを持つ女性など、まだ戦後の雰囲気が漂う光景。
提供:長久保 清さん(横浜市泉区緑園)
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