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編集支援:阿部匡宏 |
編集:岩田忠利 NO.163 2014.8.15 掲載 |
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昭和初期の菊名・妙蓮寺
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沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』の好評連載“復刻版”
掲載記事:平成6年5月10日発行本誌No.61 号名「櫨(はぜ)
構成・取材・編集 :岩田忠利(編集長) / イラスト ・マップ:石野英夫(元住吉)
菊名地区原図作成者:小泉実さん(菊名14丁目)
協力:斎藤栄太郎さん(菊名3丁目)/大崎春哉さん(菊名4丁目) /
斎藤松太郎さん(菊名5丁目) / 小泉 正さん(菊名6丁目)
妙蓮寺地区原図作成者:小森美貴子(編集室)
協力:押尾寅松さん(篠原東2丁目)/ 金子定吉さん(仲手原2丁目) /
小泉輝正さん(菊名1丁目) / 石井航治さん(菊名1丁目)
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時は夜明けの時代
菊名・妙蓮寺地区の郷土史の中で最も大きな新しい波が押し寄せたのが「昭和初期」だった。
明治22年(1889年)を境に「橘樹郡菊名村」が、近隣の篠原・大豆戸・太尾など8カ村と合併し「大綱村大字菊名」となった。よく襲われた洪水の時を除けば、菊名はのどかな農村であった。
明治41年(1908)に横浜線が開通したが菊名・妙蓮寺地区は線路が横断しただけで停車駅がなく、沿線住民には何の恩恵もなかった。
ところが、その18年後、大正15年((1926年)2月に東横線が開通…‥。しかも菊名村内に2駅「菊名」・「妙蓮寺前」が開業した。住民は大変な騒ぎだった。開通日には住民が集まって餅をついたり、旅芸人の芝居を招んだり…‥。一方、地元民は宅地造成に積極的になり、昭和2年早くも菊名住宅地の分譲が始まるなど、住宅や商店がボツボツ建ってきた。
昭和初期は、今日の発展のまさに“夜明け”の時代だった。(岩田忠利)
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大正15年2月14日、東横線開通、菊名駅で祝賀式
菊名の長老を招き開通祝賀式。中央中段の背広姿が小泉実さんの父、佐太郎さん、その左上の青年団制服の人が斎藤農園主の斎藤栄太郎さん。
提供: 小泉実さん(菊名)
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昭和初期の旧綱島街道 菊名地区
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図の中、各家の上の表記「の」は農家を表し、その横の表記は「屋号」です。
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昭和25年、満々と水をたたえ、東横沿線の名所だった菊名池
提供:守屋定善さん(横浜市中区) |
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