編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
 編集:岩田忠利     NO.148 2014.8.06 掲載 

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歴史

    鶴見川

                                                 

  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』の好評連載“復刻版”


   掲載記事:昭和59年12月1日発行本誌No.25 号名「栗」

   執筆・撮影 :一色隆徳
(祐天寺・大学生)  絵:三木孝二(妙蓮寺・会社員) 



 東横沿線では多摩川に次ぐ規模の河川、鶴見川。都下町田市の北部に端をなし、綱島を経て鶴見で東京湾に注ぐ。

 流域の家庭・工業排水によって汚染されてはいるが、全域にわたって魚が棲み、未だ“生命”を感じさせてくれる数少ない河川である。




   ささやかなエピローグ



 始まりは静かな森の中。町田市の北のはずれ、上小山田――小高い山の谷間から滲みだす雫が一筋の流れを作る。繁みの下を細々と流れるうち、寄せ集まる涌水が次第に川らしさを帯びさせる。

 当然のことながら水は澄み、川底の砂が光って美しい。よく見ようと水辺に一歩踏みだすと、驚いたのか、カエルが「どぼん」と飛びこんだ。

 このあたりでの鶴見川は、一面の田畑を縫って流れる、どこにでもある小川に過ぎないのだが、綱島あたりでの姿を見馴れている筆者には、あまりにのどかすぎて、とても同一視し難く、またそれ故に楽しくもあった。

 田園ぎわの、ほとんど畦道のような小道を、川を見ながら下ってゆく。重そうに実った稲。珍しくもないが、稲の香りはあくまで純日本的で懐かしい。カエルがまた水音と共に飛びこんだ。



町田市上小山田、森の中の源流点



ここでは小川の趣(上小山田)



 川をとりまく環境は農地から鬱蒼とした林に、そして住宅街へと移り、それにつれて川幅も増してゆく。水は濁りを帯びてくるが、橋上から魚影が見られるくらいだから、汚れはさほどひどいというわけでもない。
 小田急線を鶴川駅近くでアンダークロス。「鶴川」と鶴見川−−地名の由来に何か関わりがありそうだが、そこは「地名」でいつしか取り上げてくれることを期待するにとどめて、沿川散歩を続けてゆこう。





田畑を縫って流れる(上小山田)


小田急線と交差(鶴川付近)






    浅く、広く、ゆっくりと…



 町田市から川崎市多摩区、そして流れは横浜市緑区へと入る。国道246号線・田園都市線・東名高速・中原街道・第三京浜といった目印によって現在地を確認しながら下り、やがて新横浜駅近くまでくると、もはや東横沿線に突入したといえよう。川幅・水量共に綱島あたりと差がない。周囲に水田が見られるのもここまで。両岸にはバードウォッチャーの数も多く、このあたりが自然地帯≠ニ都市の境界をなしているといえよう。

 両岸には背の高い雑草が生繁る。ところどころのススキが穂を陽に透し、季節はずれの月見草が可憐な花をつけている。

 大きくカーブする鶴見川。水は浅く、広く、ゆっくりと流れる。古来氾濫し続け、近年に至っても流域各地でその脅威をかざしているというのが嘘のよう。もっとも中下流域では立派な提防が築かれ、溢水の心配もほとんどなくなったと聞くが……。




田園都市線が渡ってゆく(市ヶ尾)









流れと並走する横浜線(小机)



 
そして、ようやく綱島へ――東横線の見馴れた電車が鉄橋を渡ってゆくのが見える。惜しくも見損ねてしまったが、7月末、鉄橋の上手で大規模な花火大会が行われたという。港北区の商店街連合会と観光協会によるこの催し、鶴見川への関心を持ってもらうためにも末長く続けてほしいものだ。

 水面を眺めると緑に濁った水が澱み、時折ブクブクと泡が浮きあがる。糸を垂れる人に訊けば、「汚いけどね、こんな川にも魚はいるし、こうしていると落ち着いた気分になれるよ」――まだまだ捨てたもんじゃない、鶴見川。



      野鳥と親しむ

 河川敷には、季節を問わず多くの野鳥が集まってくる。今の時期ならカルガモ・コサギ・ユリカモメなどの姿が多く、そんな鳥たちを見にくる人たちもまた少なくないらしい。

 港北区大曽根台に住む井上 幹さん(74)もその一人。昨年暮れ、女性がカモに餌をやっているのを見て以来、近所のパン屋さんでパンの耳を貰ってきては、綱島の河原へいそいそと通っているそうだ。

 「餌を撒くとね、カモやらカモメやらが先を争って群がってくるんですよ。それが可愛いし、また壮観なんですね。やっぱり尊いものは自然です」という井上さん。

 近頃「ユリカモメ観察の会」を設立したそうだ。これを機に自然愛好者の輪が広がることを期待したい。



野鳥に餌づけする井上幹さん

    中流、そして下流域へ



 ゆっくり流れる水を追い越すように下ってゆく。支流の矢上川(次回で取材予定)を合わせると川幅もさらに広くなり、河原の姿も消える。コンクリートで固められた護岸からアヒルが悠々と滑りだして、川を横切っていった。

 水面は静か。海面との高低差もなくなり、むしろ微かながら逆行しているようだ。昭和初期までは東京湾から荷舟が盛んに往来していた、というのも頷ける。子供たちが誤って流してしまったのだろう、色とりどりのゴムボールが澱みにたまっている。


 堤上の砂利道をゆく自転車に乗っている人々には主婦が多い。川辺は生活道路であり、暮らしの一部であるということか。




大綱橋上流で早淵川と合流する電車は東横線
(綱島上町・大曽根)




長閑な時を求めて釣り人は絶えない
(樽町・綱島東)




 いつしか川辺には工場の殺風景な姿が立ち並び、人影もまばらになってきたのに気づいた。もう下流域に入ったのだ。
 国道1号線、東海道・京急線、国道
15号線といった、いずれも首都圏を支える大動脈と交差する。その都度、かなりの大回りを強いられ、「源流から河口までをたどる」という酔狂者にとっては、ちょっと恨めしい道のりだ。
 さすがにこれだけの距離をたどってくると疲れがでてくる。こりゃあちょっとした旅だね――などと一人ごちて、コンクリートの護岸に腰をおろし、一息ついた。

 かすかながら打ち寄せる波、はっきりと感じられる潮の香り。旧東海道に沿うだけに木造の古びた町並み。朽ちかけた木の桟橋には釣舟が揺れている。
 赤茶けた鶴見線鉄橋を、3両編成の可愛らしい黄色の電車が往き、そして帰るのを見送って重い腰をあげた。



下流域にさしかかる(上末吉)




潮の香り、揺れる浮き舟・・・(鶴見線国道駅付近)











  はかなきエピローグ



 もはや河口は近い。鶴見産業道路、即ち鶴見川にかかる最後の橋に立ち、下流を眺望。広い川をリズミカルな音を残して往来する船……さらに広い海には貨物船が霞む。両岸のコンビナートが異様に大きく見える。

 海水による自浄作用はあるものの、水はやはり汚い。確かに東京湾の汚れには目を覆いたくなるものがある。膨大な排水が流れこんでいる訳だが、それでも水の生物は棲んでいる。公害という文明の圧力を撥返すパワー、生命力がある限り、自然は耐えゆくだろう。

 近くて遠い河川の旅は、こうしてはかなくも終わり、埠頭に渡った筆者は川越しに陽が落ちるのを見た。



河口・・・遠くにはコンビナートと貨物船が霞む
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