編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
編集:岩田忠利      NO.144 2014.8.04 掲載

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歴史

 特集「多摩川U」

                                                  

   沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』の好評連載“復刻版”


   掲載記事:昭和59年5月1日発行本誌No.22 号名「槇」
   執筆・撮影 :一色隆徳
(祐天寺・大学生)  絵:石野英夫(元住吉・イラストレーター) 
   取材:磯野 猛(奥沢)/上井 徹(田園調布)/小田房秀(二子玉川)/数野慶久(奥沢)/
       戸次政明(武蔵小杉)/
野崎 充(奥沢)/吉野嘉高(都立大学)


 
丸子橋〜多摩水道橋


             まさに溜まり場、多摩川台周辺


 東横線より上流、特に東京サイドは、「沿線の溜り場というにふさわしい一大レクレーション地帯。

 河川敷に沿って多摩堤通り、前号「沿線の河川」の六郷用水、そして多摩川台公園--緑一色に彩られた山の歩道をのぼってゆこう。

 頂上に浅間神社や亀甲山古墳。大きく蛇行して流れる多摩川の俯瞰も素晴らしい。

 河川敷に降りると、ごぞんじ巨人軍グラウンドがある。休日ともなれば、あの原クンや江川サンを一目見ようと、ギャルや家族連れなどが押しかけ、土手は観客席に早変り。



多摩川台公園、緑の中の遊歩道


魚が遡上できるよう魚道が完備された堰



   かつての水がめ、調布堰


 東横線で多摩川を渡ってゆくと、上流に大きな堰--これが調布堰。洗剤の泡が浮き、舞うのが見える。

 昭和11年に竣工、45年に病原菌発生等によって取水停止するまで、玉川浄水場を通して都民に飲料水を供給してきた。


 昭和54年に取水再開、多摩川の水は工業用水として新たな使命を与えられるようになった。そして今、アユやサケの遡上を促すための魚道工事がなされ、未来への期待も高まる。



  自然にタッチ、等々力緑地


 川崎というと公害のイメージが強いが、工場地帯を一歩離れると、まだまだ自然豊かである。ここ等々力緑地はその代表格。

 日本庭園、70種もの樹木を中心とした「ふるさとの森」などの憩の広場、そして夜間照明付の野球場・テニスコート・陸上競技場・プールなどのスポーツ施設が完備されている。気分転換に健康増進に出かけてみては……。

 武蔵小杉駅からバス「市営等々力グラウンド入口」下車。問い合わせ 中部公園事務所044-722-2191

 また近くには通称マンガ寺″で有名な常楽寺がある。寺中がマンガで、6500点。見学は9時〜16時。



以前は「東横水郷」、今は市営の釣り堀池



都内唯一の渓谷、等々力渓谷


    静かな散歩道、等々力渓谷


 河川敷の草の上を歩いてゆけば、辺りは人、また人――といっても繁華街の不快な雑踏と違って、あくまでも和かなムードに溢れている。

 一転して、静かな雰囲気に浸りたい方は、等々力渓谷へ行くといい。水こそ汚いが、都区内唯一の渓谷だけあって、緑深く、静けさに包まれている。ちょっと尾瀬を思わせる板敷の歩道を行けば、木漏れ日が眩しい。

 ふと立ち止まれば、せせらぎと小鳥のさえずりの他に何も聞こえない。そんな静けさは都会に疲れた心を癒してくれるに違いない。


    軽チャーっぽく散歩


 第三京浜のたもとでは、ラクビーやゴルフの練習が盛ん。そして子供たちの歓声が聞こえるのが、「せせらぎと親子広場」。芝生広場の中を幅3b、長さ340bにもわたる流れを通じ、小さな子供たちも安心して遊べる。

 夏の夜はこの付近一帯花火で彩られる。二子橋のすぐ北、二子神社境内には、多摩川をこよなく愛した詩人、岡本かの子の碑が建っていて、「年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐ命なりけり」 の歌が、かの子の自筆でかかれてあり、人々の詩心を誘っている。



二子神社境内に岡本かな子文学碑

彫刻はかな子の息子、岡本太郎の作

    夢と伝説の島、兵庫島

  ここ3年ほど、例の「カムバックサーモン」運動によって、多摩川=鮭と連想する方も多いだろう。放流は毎年2月、兵庫島で行われる。

 新田義興とその従者が騙し討ちに遭い、家臣・由良兵庫介の首が流れついたのが、この島だという。

 時は流れ、悲壮な伝説の島は、自然に夢を託す平和の地となった。



地元小学生による鮎の放流



二子の名所、兵庫島

      自然はついえ去ったのか?


 都会の自然はついえ去ったといわれて久しいが、多摩川の自然は果たしてどんなものだろう。「多摩川の自然を守る会」の横山理子さんに伺った。

 流行のバードウォッチングの名所だけあって、河口から源流にわたって相当数の野鳥が見られる。かつて確認された数は200種とか。昔はヒバリ捕りのおじさんがいて、さえずり比べをしていたという、のどかさ。野性化したインコや文鳥などが多くなったのもご時世だろうか。

 色とりどりの花を咲かせた植物たちも、河川敷の相次ぐ整地によって姿を消していった。その中でススキや月見草などは健在、これからが楽しみな季節だ。

 さて、鮭放流などによって関心が高まっている魚、鯉・鮒。意外なことに鮎までいるという。もっとも、その陰では地元の人々の放流が支えているのも、また事実。
 ちなみに釣りをするには、遊漁券が必要
ルールを守って、自然も守ろう。


   宿河原あたり


 東名高速から宿河原にかけては小さな森が点在し、なかには鶏がいたりしてのどかな風情をかもし出している。

 多摩川梨の産地、宿河原はかつては桃が盛んで「宿河原早生」の品種を生んでいる。そして宿河原堰堤は二ヶ領用水の取水口。この近くの船島稲守には東京方面からも人が来るという。それは多摩川の流れによって、東京側に、川崎側にと所在が変わったからだ。

 二ヶ領用水、中野島、緑ヶ丘霊園は、桜が絶景。



二ヶ領用水の取水口、宿河原堰堤



 幾筋もの細い流れが下流に向かう塩山市の源流


   山深き源流まで


 これより上流、川はさらに自然の色彩を深めてゆく。公園等の施設も次第に少なくなり、そこにあるのは昔ながらに親しまれてきた川の姿。

 さらに遡って行けば、周りは奥多摩の山々--流れは次第に細く、そして激しくなる。

 多摩川の源流は山梨県・塩山市付近。湧き出る清水が集まり、一筋の流れを形成する。


   偉大なる自然、多摩川


 見る者に大いなるスケールと優しさを与えてくれる多摩川、汚れてしまったと嘆きつつも、なお我々はこの偉大なる自然には背を向けられない。

 古来より人は河川によって生活を支えられてきたのだ。

 次号は、そんな「人と多摩川のつながり」に目を向け、併せて歴史、そして未来についても考えてみたい。

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