この道50年の赤帽さん
駅長に紹介きれ、近くの椅子に腰掛けたが.赤帽きんのようすがどうもおかしい。ブスッとした顔でソッポを向いたままなのである。
「駅長さんにお願いしたんですが、何か赤帽生活50年のお話をしていただけませんか……」
いくら頼んでも、時々ジロッとポータブル・テレコを見るだけで、ソッポを向いたままである。
しばらくしてから、ボソボソと怒りを込めて語り始めた。
「何もしゃべれません。しゃべれないんです…」
こんどの駅の新築を機に、家族一同が『もうおじいちゃん、ひき時ですよ』と言うもんだから、駅長さんにお話して円満退職したんです。この展覧会には制服で手伝ってもらいたいと駅長さんに頼まれて、初日から出てきています。それからというもの、テレビや週刊誌の人が、家の方まで押しかけてきたんです。家族も喜んで、私の長い赤帽生活の苦心談を話しました。
ところが、放映になった画面を見ると、家族の接肋によって50年も勤めてきた神聖な仕事を、まるで変人扱いで写し出したんです。これではサーカスのピエロですよ。50年、ただひたすらお客様のためにと、若者たちの軽蔑の視線を無視して、真剣に歩んできたこの私を……。
家族も楽しみにして放映を見ましたが、ピエロのような扱いに怒り出して、『おじいちゃん、もう絶対にマスコミにしゃべるんじゃないよ。あんたは人がいいんだから、マスコミに馬鹿にされるだけだよ。絶対にしゃべるんじゃないよ!』と言われてるんで、何もお話しできません」
そう言って振り切るように会場を出ていってしまった。
こういうマジメな人を取材するとき、マスコミの担当者はよくよくの気配りをしてもらいたい。
私は何も取材できなかったが、この混濁した世の中に、ダイヤモンドのように輝く稀有の人物に会えて、きょうはとても良い取材をしたと思って帰った。
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