編集支援:阿部匡宏
 編集:岩田忠利     NO.135 2014.7.29 掲載 

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歴史
    反町
                                                

   沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』の好評連載“復刻版”


   掲載記事:昭和59年3月1日発行NO.21 号名「檜」
   執筆:前川正男
(都立大・郷土史家)  絵:斎藤善貴(尾山台) 


  躍進する企業の舞台裏


     名人芸から機械へ


 
終戦後も次第に工業が復興してくると、がぜん人手不足になってきた。各企業は金の卵と称して、求人に全国を探し回る騒ぎになった。私はこの世相を見て、「東洋自動化研究所」の看板を掲げた。
 そのとき何かの縁で、目黒通りの権之助坂にあるゴルフ用品店「バーディー・ニッタ」の専務から、こんな注文がきた。ドライバーのヘッドに使う松の根が不足してきたので、東レとタイアップしてナイロンのヘッドを作りたいのだが、硬くてうまく加工できない。
そこで、うまく削れる自動機を考えてくれないかというのである。

 さっそく、祐天寺にあるバーディー・ニッタの工場を見に行った。工場といっても普通の民家と変わらぬ木造の平家で、3名ほどの工員が神武時代のような全くの手作業で、各種のゴルフクラブを作っていた。できあがったクラブはピカピカに光って、時代の最先端をゆくような感触の商品だが、その加工方法は、ノコギリ・カンナ・ノミによる加工であった。これでは硬いナイロンは削れない。

 まず、ドライバーヘッドの、アルミのプレートが嵌合する曲面の溝を加工する機械が必要だという。そこで、アメリカ製の高速切削フライスヘッドを買ってきて、その刃物が曲面を希望通りに削り出す、倣(なら)いフライス盤を試作した。これは予想以上にうまく作動し、新田社長も大喜びだった。そして仕上がり時間も、ノミで名人芸的に彫る時間の20分の1で済んだ。
 この新田社長は、背が低く全くスポーツマンとは思えない風貌の人だったが、ハンディはゼロだという。彼はプロゴルファーの道は進まず、ゴルフ用品の店と工場を経営するとともに、ゴルフ場の設計を本職としていた。そして特に頼まれた人に限って、ゴルフの指導をするということであった。



      サカタ種苗との出合い


ゴルフのことを忘れた頃に、新田社長から電話があった。

「私が特別にゴルフを教えている、サカタ種苗の専務(現社長)が、種を入れた紙袋の自動封縅機を作ってほしいそうなので、サカタへ行ってみてください。よく話してありますから…」
 さっそく反町駅で下車し、山を少し登り、サカタへ行った。新田氏の推薦が利いていたらしく、きわめて丁重であった。


 現場へ行ってみると、アルバイトのような太ったおかみさんが2人で、朝顔やヒヤシンスなどの種を、きれいな花の写真がついた種袋に入れ、ヨウジに糊をつけて一枚ずつ封縅作業をしていた。当時、京都のタキイか東京のサカタかと、日本を二分する種苗会社の現場は、ゴルフメーカーと同じように非近代的であることには驚いた。

 もうひとつ驚いたことは、種というものは純金よりも高価なものであり、蒔き時期に払底すると、株のように天井知らずに高騰することであった。平常はきわめて地味な仕事であり、プリンスメロンのような新品種を開発するには、十数年を要するという気長な産業である。
 ところが一方、株屋並みの投機上手でなければ、社長は務まらない産業でもある。




反町駅ホームの先は高島山を潜るトンネル


   カツオ節・駅弁の場合


 
余談ではあるが、すべての企業には投機性を伴わないものはひとつもない。

有名な四国のヤマキ(カツオ節メーカー)の自動包装機をやったときには、一番重要な仕事は、いかに良い原料を安く仕入れるかということであった。そのため、仕入担当副社長は、一年中太平洋上の漁場と接触していて、いい漁があったときは、電光石火その場で契約しないと、同業他社に出し抜かれてしまう。悪いカツオを買えば社運が傾くという。

また、富山駅の名物である鱒寿司弁当の会社を指導したときには、その会社でいちばんの高給取りだという老人に会った。見たところ、東京の老人クラブによくいるような人であったが、この人の仕事は、明日何食分仕込むかという個数を決めるだけ。駅弁は、売れ残ればその分が赤字であり、足りなければみすみす儲けを失ってしまう。春夏秋冬、曜日、天候、その他あらゆる条件を考慮し、長年の勘と推測で、仕込む個数を前夜に決定する。

 どの企業にも、コンピュータでは処理しきれない不可思議な仕事があるものである。


     苦労した種袋自動封緘機


サカタの「種袋自動封鍼機」の試作ができると、現場に持ち込んで試験を始めたが、あまりうまく作動しなかった。

花の種類によって種子の大きさが違うし、袋に入れるときに一部に固まってしまったりして、ローラによって前進する袋がいろいろ方向を変えてしまう。
  糊付けした蓋の部分がなかなか平行にゆかず、少しでも斜めになると、店頭での商品価値がガタ落ちになってしまう。



色とりどりの花が咲き誇るサカタ種苗ガーデンセンター

結局、袋を送るのにローラではなく、平ゴムベルトに改良することになった。こうすれば、中身の種に多少の凸凹があっても、その影響を最少限にくい止めることができる。機械本体はサカタに置いて、改良部品の設計製作に入った。
 その後まもなく、反町の事務所と売店、倉庫と工場は全焼してしまった。改良どころではなくなり、この件は未完に終わってしまった。



   きびしい一年草

 

サカタが会員に配布している極彩色の花の本がある。編集員は一年中これにたずさわり、社の全力を挙げていることを見聞することができた。

 企業というものは大変なもので、相場師のような才能、研究開発の才、営業蓄財の才、さらに出版PRの才と、全天候形の才能がなければならない。

しかも、4時間以上の睡眠をとる人はめったにいないし、これだけ心身を酷使しても、90歳以上の長寿を果たさなければ、まず2代とは続かないという。きびしい一年草であるような気がしてならない。

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