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編集支援:阿部匡宏 |
編集:岩田忠利 NO.134 .2014.7.28 掲載 |
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沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』の好評連載“復刻版”
掲載記事:昭和59年1月1日発行NO.20 号名「松」
執筆:前川正男(都立大・郷土史家) 絵:斎藤善貴(尾山台)
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白楽駅から東白楽駅までは極めて近い。白楽からすぐ左へカーブする高架線の両側は、アパートがぎっしり建っている。
幹線道路も昔は“肥やし街道”
改札口を出ると、車の往来の激しい大通りに出る。国鉄東神奈川駅前から六角橋を通って、新幹線の新横浜駅の脇に出る幹線道路である。
東白楽駅は、この道路を跨いだ鉄橋がそのまま駅のホームになっているような感じである。改札口前も商店街なのだが、広い道路に災いされて両側のバランスがとれていない。しかし、六角橋の方へ歩いて行くほどに賑やかになってゆく。「西三商輿会」であり、アーケードも完備している。
この幹線道路、昔は肥し街道≠ニ呼ばれ、小机や篠原方面の肥し車の往来の激しかった道で、人糞と交換に野菜やくそ餅(草餅をもじったもの)を配って歩いたと、土地の古老は思い出を語る。
住民運動で実現したガード
白楽の駅から東白楽へのレールは、途中までは土手の上を走るが、東白楽の手前からガードになる。
このガードは、ただのガードではなく、関東大震災のあと、当時あった16の町内会が連合して、
「高架線にしなければ鉄道を引かせない。土堤が出来てしまったら、大震災の時に、住民が自由に逃げられなくなるから・・・」
と、2千人ほどでデモをして、会社、市、県に対して覚え書きを交換させたものだという。
そのため、横浜大空襲の時大変助かったとのことである。何とも心強い話ではないか。
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住民運動の成果。東白楽駅の前後の高架線
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高台にそびえる孝道教団
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懐かしい花まつりの行進
東白楽駅の東側の高台には寺院風の建物が目立つが、これは孝道教団の本部である。
ここの「孝道山花まつり」は、私の学生時代から有名で、お釈迦さまのお誕生日には、大きな象の山車を先頭にした華やかな行列が、伊勢佐木町の本通りを毎年行進していた。
しかし、横浜が戦災で焼土となった時から市中行進は中止したという。今一度、あの華やかな行進を見たいものである。
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