編集支援:阿部匡宏
 編集:岩田忠利    NO.131 2014.7.28 掲載 

画像はクリックし拡大してご覧ください。

歴史
    新横浜
                                                 

    沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』の好評連載復刻版”


    
掲載記事:昭和58年9月1日発行NO.18 号名「梨」
    執筆:前川正男
(都立大・郷土史家)  絵:斎藤善貴(尾山台) 



           新横浜と「夢の超特急」


 菊名駅の西方に、新幹線の新横浜駅がある。この新横浜駅周辺の土地をめぐって実際に起こった空前の大汚職事件を題材に、作家・梶山季之は『夢の超特急』という小説を書いた。さらに 「黒の超特急」と題して映画化もされた。

 関係者のほとんどが生存しているので、梶山氏のつけた記号を使って、この事件を紹介してみよう。
 若い読者は、あのスマートな新幹線の姿の陰に、このようなみにくい血みどろな事件が隠されていようとは、全く想像もできないだろうが、しばし我慢して読んでいただきたい。
 梶山氏の小説の冒頭の部分から引用してみよう。

                               ☆      ☆


 
『戦後、東京や横浜の人口がふくれあがったおかげで、横浜市の北に位置する港北区も、けっこう住宅地として注目されるようになった。

 横浜市と渋谷を結ぷ東横線と八王子とを結ぷ横浜線とが、港北区の中を走っているからだった。そして <菊名>は、この横浜線と東横線が交差する地点でもあったのだ。
 戦時中は畑だらけだった菊名駅の付近も、近ごろ(昭和30年頃)では、商店街でうずまってしまっている。
 『こうした郊外の住宅地は、まず駅の周辺から塗りつぶされていくのである。土地の値段だって、年とともに上昇していた。アパートも、月l軒ぐらいの割合で建築されている』
 『Sは、菊名駅前で、小さな不動産業を営んでいる』
 その小店に、大阪のT開発のN社長が突然現れる。N社長は土地を買いたいという。



        「ダマされたッ、土地を返せ!」


 現在の新横浜駅周辺は、かつては俗に「篠原耕地」と呼ばれる、鳥山川に面した低湿地であった。ここは、農地としては恵まれない土地であった。
 そこへ、昭和30年代から、宅地化の波が押しよせてくるようになった。そのため、「篠原耕地」で農耕に従事していた地主たちが、あまり収入のない自分たちの農地を、住宅地として高く売りたいとひそかに考えはじめた。
 しかし、この地は最寄り駅の菊名から徒歩で30分もかかるうえ、道路も悪く、宅地転用は困難なのであった。
                      ☆      ☆
 
N社長の話は、自分はK臣の秘書であり、この地区に大工場がくることになったので、大豆戸、篠原、岸根の3つの町を結んで、鳥山川沿いに細長く購入したい。金はM銀行で8億円用意している。細長い土地が要るのは、フォードと提携する某自動車工場の長い組立ラインのためである、というものであった。


  秋祭りの1017日に、N社長は2台の大型ハイヤーで現れ、八幡神社と菊名天神にそれぞれ1万円の賽銭をあげて、村人たちの度肝を抜いた。土地の古老、Oさんの父上はちょうど八幡神社の代表をしていたので、そのお賽銭にびっくりし、Oさんに 「あのように敬神の志の厚い人なら信用できるだろう」と語った。

 それから、村人を乗せた2台のハイヤーは、綱島の高級料亭に入った。そこで、Oさんが、「坪4500円以下では、売りませんよ」というと、N社長は、「5000円で買う」 といったので、また驚いた。しかも、 「いずれ細かい契約の打合わせには、ここにおりますSをうかがわせます。よろしゆうお頼みいたします。仮契約と同時に50パーセント、残金は仮登記とともに支払うということで、いかがでしょうか」といったので、みな賛成した。



N社長が1万円の賽銭をあげた富士塚の篠原八幡神社


 昭和35年1月下旬に、54名の地主が、37530坪を坪7000円で契約した。そしてその50パーセントの代金はM銀行振り出しの保証小切手であった。これと交換に、かれらは売買契約書にサインと捺印をとられ、仮登記のための印鑑証明、白紙委任状をとられた。


                                ☆     ☆

 Oさんの話では、その後、その白紙委任状にSの筆跡でOさんの全不動産が記入されていることを知り、「俺がお前のために村の人の土地をまとめたのに、その俺にまでこんなことをするのか。許せないッ!」
 と日本刀を持ってSの家に乗り込み、
 「この恩知らず奴(め)、タタッ切ってやるッ!」
 と大喝したら、裏口から逃げ出した。
 「その時の日本刀は、あれですよ」
 と指差された。見ると応接間の大きな硝子戸棚の中に、錦の袋に包まれた日本刀が、若き日のOさんの活躍の記念のように静かに横たわっていた。

                              ☆     ☆

 自分たちから7000円で買った土地を、まもなく新幹線公団に6倍以上に売ったことを知った村人は「ダマされたッ」と怒り出した。あの取引のまとめ役をやった手前、Oさんは黙ってはいられず、秋田から蓑と笠を大量に仕入れ、これを着込んで一団体を作り、地元代議士や弁護士と連絡をとり、国会へ陳情に乗り込んだという。
 「『我々がダマされて安く買上げられた土地を返せッ!』と国会のロビーでムシロ旗を振ったものでした……」

       実際にあった美人秘書殺人事件

 梶山季之は、このへんでハーフの美人秘書を登場させる。N社長は上の方の指令で、この美人秘書を公団総裁の2号に世話し、新幹線情報をきき出し、K大臣と東大同期のM銀行頭取が、小切手を振り出すという談合を赤坂の料亭でする。推理小説で、一般読者が対象であるから、色と欲の葛藤が織り込まれ、ついには知り過ぎたこの美人秘書を八丈島で殺害する。

 「これは、小説が売れるためのフィクションでしょう」
 とお訊ねしたら、Oさんはことも無げに、
 「八丈島でなく、真鶴で殺したらしいですよ」
 色と欲が昇華すると、殺人なんかは何でもなくなるものかもしれない。人間の業の深さを思わせられる。



      映画「黒の超特急」の一場面
出演俳優は右から加東大介、主役・田宮二郎、船越英二、藤田紀子


          暴かれた大汚職事件

 
浅草の待合で接待を受けた、新幹線総局の課長補佐がヤケ気味に、「われわれの接待なんか。もっと大きなものが……」と洩らした一言から、それを氷山の一角とみて大捜査に乗り出す。また、Oさんたちも、N社長一派の不正を暴き、前の取引を無効にしようと、警視庁に積極的に働きかけた。

 「あとで県警から、直接警視庁にもってゆかなくても、とだいぶ絞られました。でも、それからというもの、毎日毎日の新聞は新幹線汚職の記事ばかり。県や市の役人、登記所員、税務署長以下大勢の官吏など、空前の大汚職事件に発展してゆき、N社長一派が想像以上に広く手を打っているのにびっくりしてしまいました」


                         ☆      ☆


 美人秘書殺害を含めたN社長の犯罪計画も、美人秘書の母の文芸春秋社への一通の投書から、同社専属の新鋭ルポライターK(梶山季之)と社を挙げての応援により一歩一歩事件の核心に近付いてゆくのであった。


        副都心へと脱皮する新横浜駅前


 
新横浜駅前は、昭和50年2月に区画整理も終わり、大きなビルの新築ブームである。しかし、車の往来こそ激しいが、人の姿が全く見えないので、横浜市の計画局に、今後どのように発展してゆくものか訊ねた。


 「新幹線の駅前ですから、いつまでも荒地のままにしておくわけにはいきません。まず区画整理と道路整備をして、第二副都心にする構想を立てています。そのため、小さな個人住宅の建築は制限してきました。それは、あとで大きな建築をしようとするとき日照権の問題が起こることを防ぐためです。
 港北ニュータウンも、住宅都市整備公団の手で着々進められていまして、今秋には入居がはじまりますので、次第に活況を呈してくると思います。60年4月には、地下鉄もここまでのびてくると思います‥‥‥」
 夢の新横浜駅前の繁栄も、そう遠い将来ではなさそうだ。

 

「とうよこ沿線」TOPに戻る 次ページへ
「目次」に戻る