編集支援:阿部匡
 編集:岩田忠利    NO117 2014.7.21 掲載 

画像はクリックし拡大してご覧ください。

歴史
 様相いっぺん 

    中目黒



 沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』の好評連載“復刻版”


   
掲載記事:昭和56年9月1日発行本誌No.7 号名「萩」
   執筆:前川正男
(都立大・郷土史家)  さし絵:斎藤善貴(尾山台・画家) 


 
    見当ちがい、地元の発展
 

代官山駅は、踏切とトンネルにはさまれて、ホームの拡張工事ができないので、7輌連結の電車は、1輌はトンネルの中にとまりドアーは開かない。代官山駅の手前で、車掌が必ず、注意のアナウンスをするが、停車してから、あわてて電車の中を駆けてゆく客は絶えない。車掌は心得たもので、このランナーが車から跳び出してから、ゆっくり、ドアーのボタンを押す。その時の、車掌の表情は面白い。

 代官山を出るとすぐ電車はトンネルに入る。トンネルを出ると、雪国ではなく、目黒区になる。トンネルの出口からは高架で、すぐ目黒川を渡り、直後中目黒″のプラットホームに入る。その下を、広い山手通り(環6)が走っている。



トンネルをくぐると、そこは中目黒

  短い間隔にいかに4本のレールを入れるか・・・


 地下鉄(日比谷線)が中目黒へきて、東横線と相互乗り入れになるという噂が出だした頃、技術屋の私は、「トンネルとホームの僅かの間隔の中で、どうやって4本のレールを、二つのホームに入れるのだろうか?」と、夜もよく眠れなかった(漫才師の言葉を拝借)。

 東横線と日比谷線の上りが一つのホームの両側に、下りが、その隣りのホームの両側に並んで、左側交通をするには、どうしても東横線の下りのレール1本が、日比谷線の上を袴がなければならなくなる。あの短かい距離の中で、この曲芸をどうこなすか? 大変興味があった。開通してみればナーンダだが、ご乗車のみなさんは、代官山トンネルに入る時には、一度は窓外に注意して見てください。ルービックキューブより面白いかも……。

 「中目黒へ地下鉄がくるぞ!」と力む人もいたが、地元商店街の大部分の人は、「なーに、ただ、通過する客がふえるだけさ……」 とシラケムードか大勢を占めていた。

 ところが、昭和42年、実際に日比谷線がドッキングしたら、始発の中目黒駅周辺は、建築業者のマンションブームがおき、閑散としていた映画館は、そのまま”ダイエー中目黒店″となり、東急ストアーその他2,3のスーパーが成り立つほど人口がふえてきた。あっという間に渋谷に次いで第2位の乗降客数になってしまった。


     中目黒名物、青い眼の子供たち


 戦前からの中目黒名物のアメリカンスクールは、米軍住宅の埼玉・所沢集中の結果、そちらへ移転してしまい、そのあとに、中世ヨーロッパの城郭もかくやと思わする大建築、千代田生命本社が出来上った時には、古い東横人は、あっと驚ろかされた。早速行ってみたら、建物は大きいが、人はチラホラ。訊ねてみたら、
 「当社は、百年後の予測をたて、百年後には、事務員が一杯になる予定です」
 とすましている。
 「なるほど、生保会社というものは、息の長い計画するものだなぁ……」
 と、その時は感心したが、その後のオフィス・コンピューターの進歩で、事務員の増加は不要らしいので、予測通りくかどうか……。

 アメリカンスクールがあった頃は、可愛らしい小猿のような碧眼の子供たちが、ホームや電車の中を駆け回ってハラハラさせられたが、その子たちが引っ越してしまったあとは、中目黒が普通の駅になってしまって淋しくなったものだった。

       変貌の中目黒界隈

 

改札口を出て、目の前の山手通りを、東(大崎)の方へゆくと、すぐ右に折れる通があり、入口に”目黒銀座″と大書した門がある。ここから入って突き当るまでの商店街が、昔から有名な伊勢脇商店街″であった。
 恵比寿に住んでいた人たちまでが、
 「きょうは、少し暇が出来たからイセワキヘ買物に行ってくる……」
と、連れだって出掛けるくらい、品揃も豊富で値段も安かったものだが、日比谷線開通後のスーパー進出に押されて、何となくクリスタル的雰囲気になっているようだ。

 このイセワキ通りの少し先、駒沢通りと環6との交差点角には、以前高砂ゴム″という、自転車のチューブを作っていた会社があり、工場長が学校の先輩であったので、時々寄っていた。敷地を富士銀行に売って相模原へ移転し、あとに、ローマの城塞のような富士銀行中目黒センター≠ェ建ちあがった。全国オンラインシステムのコンピューターセンターである。この山手通りを更に東へゆくと、協和銀行と三井銀行の計算センターがあり、西へゆくと、東京銀行の計算センターがある。いまでは、目黒は、大銀行の心臓地帯になってしまった。

 昔は、市内から移転してきた寺が多く、寺町のような目黒だったが、いつの間にか近代化し、バイオニア、スタンレー、ヤクルト、千代田生命、日産生命など、大会社の本社が林立している。

 とくにに、目黒不動の隣の羅漢寺″では、〃お骨のマンション″を、数十億の巨費を投じて建設している。墓地難は世界的傾向であり、年と共にお墓の需要はふえる一方であり、”マンション人間″の骨を入れる“お骨のマンション”は、いま、大きな注目を集めている。もし、羅漢寺が成功すれば、都内に、お骨マンションブームが出現するような気がしてならない。



 大銀行の“心臓部”、計算センターが集中する街に

     ラグビー日本一の目黒高校


 駒沢通りをダイエーの前から恵比寿駅の方へ少しゆくと、目黒川に出る。橋を渡って右折すると私立の目黒高校″がある。うしろは山、その崖を這うように校舎が建ち、ニューヨークのダウンタウンの運動場のような高い金網に囲まれた、狭い校庭がある。この小さな校庭から、日本一のラグビーチームが生まれたのだから不思議だ。

 どのスポーツでもそうだが、設備から強いチームは生れない。基本動作の忠実な反復、これこそ、あらゆるスポーツの極意だ。それには広いグラウンドは要らない。遠いグラウンドに練習にゆくそうだが、基礎はどこででも出来る。その努力に、折からの梅雨の中で、最敬礼をしてそこを去った。
 私も昔はバレーボールのレギュラーだったから……。  (次回は「祐天寺駅周辺」編)

「とうよこ沿線」TOPに戻る 次ページへ
「目次」に戻る