編集支援:阿部匡宏
                  編集:岩田忠利         NO.110 2014.7.14 掲載  

画像はクリックし拡大してご覧ください。

歴史 地名M 生きている沿線の歴史  

  東西南北あれこれ


   沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』の好評連載“復刻版”

   
掲載記事:「地名 その20 昭和60年8月1日発行本誌No.29 号名「桑」
   執筆:桑原芳哉
(大倉山・学生) 絵:石橋富士子(横浜・イラストレーター) 地図:桑原芳哉

 新しい町づくり――団地が建てられ、鉄道が敷かれ、駅ができる。そこには、新しい地名が生まれる。地名は、多くの場合、このように生まれてきたのであろう。
 新しい町ができた時、いままでの古い町と区別するためか、地名に「新」とつけることがよく見られる。中には、「新町」としてしまうものも。
 今回は、「新」のつく地名を集めてみた。


 

  “東西南北”のつく地名を分類する

 

東西南北≠ニいう、方角のついた町名を沿線から拾ってみると、次のように分類できる。

.Aタイプ・・・東西南北″+〇〇(町)

  東玉川(東京都世田谷区)、北加瀬(川崎市幸区)、南山田町(横浜市都筑区)など、このパターンがもっとも多い。駅名でも西小山、北千束、東白楽、東神奈川がある。

  Bタイプ・・・〇〇+東西南北″

  恵比寿西・恵比寿南(東京都渋谷区)、田園調布南(東京都大田区)、新丸子東(川崎市中原区)、綱島東・綱島西・篠原北・篠原東(横浜市港北区)の8つ。新しいものが多い。

  Cタイプ・・・〇〇+東西南北”+

 
今井西町・今井南町(川崎市中原区)、篠原西町(横浜市港北区)、白幡東町・白幡西町・白幡南町・三ッ沢東町・三ッ沢南町、三ッ沢西町(横浜市神奈川区)の9つ。なぜか東京都にはない。

  Dタイプ・・・東西南北″のみ

  
東(東京都渋谷区)、南(東京都目黒区)。この2つしかない。

   これらの地名を、もう少し細かく見てみよう。


   「東白楽」は白楽の“南”だーーーAタイプ

 
まず、Aのタイプ。東西南北≠ェ頭につく型である。数が多いだけに、江戸時代からの旧村名を引き継ぐもの(幸区北加瀬・南加瀬、鶴見区北寺尾・東寺尾、神奈川区西寺尾)から、昭和40年代に生まれたもの (大田区東雪谷など)まで、バラエティーに富んでいる。

 地名に東西南北≠つける場合、その東西南北≠ヘほぼ間違いなく実際の方角と一致する。「武蔵小山」のひとつ西が「西小山」であり、「東神奈川」も「神奈川」より東にある。しかし、中にはちょっと首をかしげたくなるものもある。

   現代っ子だぜ、俺たちーーーBタイプ

 
次に、Bのタイプ。「新丸子東」を除いては、昭和35年から48年までの生まれた現代っ子。その多くが、住居表示の実施によって生まれたものである。住居表示の実施によって、従来からの町丁割が、大きく変わった例は多い。

 「綱島東」「綱島西」もその一例。古くは旧村名から「北綱島」「南綱島」で、現在の綱島台の丘を境にしていた。しかし住居表示実施後は、東横線を境に東西に分割。地域の実態に合うようにしたのだろうが、みなさん、混乱しなかったのかな。

   戦前生まれは兄弟が多いーーーCタイプ

 
Cのタイプは、「Bタイプ+町」の型。こちらは「篠原西町」を除いては戦前の生まれ。住居表示実施の進んだ東京にはない。

 「今井」が「西町・南町・上町・仲町」、「白幡」が「東町・西町・南町・上町・向町・仲町」、「三ッ沢」が「東町・南町・西町・上町・中町・下町」とセットになっているのはおもしろい。

 しかし、「篠原」は「西町・台町」と「篠原東・篠原北」に分かれている。前者二つは昭和45年、後者二つは46年に生まれているので、このあたりに理由がありそうだ。

   これでも“地名”か!?ーーーDタイプ

 
そしてDのタイプ。渋谷区の「東」は旧名。「恵比寿東」を引きずっているのかと思われるが、「渋谷駅の東にあるから」などと書いた本もある。
 目黒区の「南」は「区南部だから」らしい。この「南」という町名のために、「高木町」「富士見台」「宮ヶ丘」という三つの町名が姿を消しているのだ。あわれなことである。

 しかし、それにしても、「東」とか「南」とか、ここまでくると、はたして“地名”と言えるのかどうか、大いに疑問である。

  大田区は東西南北だらけだ

 
住居表示の実施によって、多くの地名が消え、「東〇〇」や「△△北」などという地名がふえた。
 とくにすごいのが東京都大田区である。
大田区には現在59の町名があるが、その半数以上の37が、東西南北、上中下、本、新などの文字のつくものとなっている。残り22の町名にも、「中央」、「京浜島」、「羽田空港」など、まともでないものがあり、まともな地名は東西南北などをはずした20あまりとなる。

 これに対して、住居表示の実施によって消えた町名は、駅名に残る「蓮沼」など29を数える。「調布嶺町」などは、面積も1.5平方キロぐらいにすぎなかったのに、現在は「鵜の木」、「久が原」、「南久が原」、「下丸子」、「東嶺町」、「西嶺町」、「北嶺町」、「南雪谷」、「田園調布本町」、「田園調布南」と10もの町に分割されてしまっている。世界史に出てくるポーランド分割∴ネ上である。

 新しくつけられた町名も、「田園調布本町」、「田園調布南」などは、いかにも高級住宅街のイメ−ジをダブらせたくてつけたという感じで、好きになれない。「田園調布南」なんか、「南嶺町」にでもすれば、「嶺町」が“東西南北”そろって、最高だったのになあ・・・。

                            ☆★☆

 
東西南北≠フついた地名は、今後もふえる一方なのだろうか。上、中、下≠竍新、本≠ネども混ざって、頭がごちゃごちゃ。こうふえてくると、そのうち「北千束東」とか、「南白幡西町」などまでできて、ますますわけがわからなくなるんじゃないかと、心配になる。

 奈良時代だったか、「地名は漢字二字にして、好字を用いよ」というおふれが出たこともあったと聞く。漢字二字とか、好字を、とは言わないが、地名はやっぱり、「日吉」とか、スッキリしている方がいいな……。


   <
主な参考文献>


「角川日本地名大辞典 13東京都」
『横浜の町名』 『消えていく東京の地名』

「とうよこ沿線」TOPに戻る 次ページへ
「目次」に戻る