編集支援:阿部匡宏
      編集:岩田忠利    NO.109 2014.7.14 掲載  

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歴史 地名H 生きている沿線の歴史  

 “新しい”町

   沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』の好評連載“復刻版”

   
掲載記事:「地名 その19 昭和60年6月1日発行本誌No.28 号名「栴」
   執筆:桑原芳哉
(大倉山・学生) 絵:石橋富士子(横浜・イラストレーター) 地図:伊奈利夫(桜木町


  新しい町づくり――団地が建てられ、鉄道が敷かれ、駅ができる。そこには、新しい地名が生まれる。地名は、多くの場合、このように生まれてきたのであろう。

 新しい町ができた時、いままでの古い町と区別するためか、地名に「新」とつけることがよく見られる。中には、「新町」としてしまうものも。

  今回は、「新」のつく地名を集めてみた。


  江戸時代生まれの

  新町  (東京都世田谷区)

 世田谷区の「新町」は、その名の通り、新しく開発されてつけられた地名で、「世田谷新町」とも呼ばれた。もっとも、この地が開発されたのは江戸時代初期の万治年間(165861)である。

 世田谷地方は、地質的には火山灰の土壌化したローム層におおわれた台地で、大きな川もなく農地としては不適であった。そのため、原野や雑木林のまま江戸時代まで放置されていた。しかし、江戸時代になると、広い新田開発が必要となり、六郷用水など多くの用水が引かれた。この用水によって、農地の開墾が行われ、「新町」も生まれたのである。

 このように、開発当時は農地として開墾された「新町」も、今では住宅が建ちならぶ町。地下には新玉川線、地上には首都高速も通っている。

  田園都市計画が・・・

  新丸子  (川崎市中原区)

 駅名にもなっている「新丸子」、町名としては現在「新丸子町」「新丸子東」があるが、町名誕生は昭和18年、駅名は大正14年だから、駅名の方が先に生まれている。

 この付近は旧上丸子村で、東横線開通当時は橘樹郡中原町大字上丸子であった。となれば、駅名も 「上丸子」でいいのだが、あいにく多摩川をはさんで対岸の目蒲線に「下丸子」駅があった。それなら、とこれからの住宅開発への期待もこめて「新丸子」としたようである。

 最近乱造ぎみの 「新〇〇」という駅名、東急では「新丸子」が唯一。田園都市計画の思惑がはずれ、一時は三業地として賑わったが、その面影もほとんど消えてしまった。

  本家より古いのに・・・

  新吉田町  
   (横浜市港北区)

 
「新吉田」は、昭和14年まではただの「吉田」であった。しかし、横浜市編入時に、中区の吉田町と区別するため、「新」がつけられたものである。

 この地の「吉田」を文献にあたると、なんと鎌倉時代にまでさかのぼることができる。これに対して、中区の「吉田町」は、江戸時代初期の万治2年(1659)に、材木商・吉田勘兵衛によって埋め立てられ、その姓をとった地名である。鎌倉時代と江戸時代、どちらが古いかはすぐわかる。新吉田町には、「御霊(ごりょう)」、「貝塚」「神隠」など、歴史を感じさせる字名もある。港北区と中区、「新」をつけて区別する必要もないように思うが。

 新吉田町の南に「新羽町(にっぱちょう)」がある。この「新」も「新しい」という意味かと思われるが、定かではない。

  「新都心」の夢、実現は・・・

  新横浜  
   (横浜市港北区)

 
今では町名ともなっている「新横浜」、その起こりはもちろん新幹線の「新横浜」駅である。

 新横浜駅の開業は昭和39年。思えばこれが、その後の「新〇〇」駅ブームの始まりであったと言えよう。以来20年あまり、多くのひかり″号に通過され、駅周辺には住宅も商店もなく、ラブホテルばかり建てられてきた。

 しかし、今年(昭和60年)314日、新横浜にもようやく陽が当たり始めた。ひかり″上下51本停車、横浜市営地下鉄の開業で、国鉄あたりも新横浜・新時代″などとPRに力を入れている。

 今後、港北ニュータウンの建設、企業の誘致などが進めば、名実ともに新都心としての「新横浜」になれる日がやって来るであろう。もっとも、計画通りに事は運ばないのが世の常。あのホテル群のネオンが消える日は、まだまだ遠い気もする。



昭和初期、新吉田の鎮守、若雷神社が「県下名称史跡45佳選当選」記念碑建立
  提供:本多トシ子さん(新吉田町)









      昭和40年、新横浜駅周辺
東海道新幹線は、前年の東京オリンピック開催に合わせ、開通しました。住宅などの建物は東口の篠原町に見えるだけ、副都心の新横浜駅周辺はまだ何もありません。
  
提供:本田芳治さん(篠原北

  「最古」を誇る港になった

  新港町 (しんこうちょう)  (横浜市中区)

 
桜木町駅からいちばん近い埠頭、新港埠頭のある「新港町」は、明治39年の埋め立てとともに生まれた町名である。

 幕末に開港した横浜港では、明治になると港湾整備の必要性が高まり、海岸の埋め立て、埠頭の建設が進められた。このうち、明治39年の埋め立てによって完成した海岸通地先には、「新しい港」という意味で「新港」の名がつけられた。その後の工事を経て完成した「新港埠頭」には、当時としては最新の赤レンガ倉庫や50トン電動クレーンが設けられた。さらに、この新港埠頭からは、多くの外国航路客船も出入りし、文字通り新しい港、いや新しい日本の玄関〃であった。

 時は流れ、今では横浜でも最古の埠頭となり、50トンクレーンは東洋最古″を誇る。赤レンガ倉庫も残るこの地、「みなとみらい21」計画が進んだ時、どのような姿になるのであろう。

                                 ☆

 このほか、中世の荘園の名残とも考えられる新城(しんじょう)(川崎市中原区)や、横浜市神奈川区の海寄りにならぶ新子安新浦島町新町など、「新」のつく地名は多い。しかし、いずれも今と
なってはかなり古い土地で、江戸時代にさかのぼるものもある。新しいものでも20年、大人の仲間入りをしている。いつまでもこの「新」の字、つきまとうのであろうか。


    <主な参考文献、資料>
『角川日本地名大辞典 13東京都、14神奈川県』
『横浜の町名』 
『新修世田谷区史』
『川崎新中原誌』 『世田谷区の歴史』
『本誌No.5、No.12桂=x

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