編集支援:阿部匡宏
        編集:岩田忠利        NO104 2014.7.12 掲載 

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歴史 地名H 生きている沿線の歴史  

  戦火に消えた駅

  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』の好評連載“復刻版”
   
掲載記事:「地名 その16 昭和59年12月1日発行本誌No.25 号名「栗」
   執筆:桑原芳哉
(大倉山・学生) 絵:石橋富士子(横浜・イラストレーター) 地図:伊奈利夫(桜木町


  現在、東横線には渋谷から桜木町まで23の駅(平成26年現在21駅)がある。しかし、かつてはこれに加えて4つの駅があった。これらの駅は、大戦後相次いでその短い命を閉じた…。

  京浜急行の平沼駅を加えて、戦争とともに消え去った駅をしばし振りかえってみたい。


  渋谷川を見つめて・・・

  並木橋  (東京都渋谷区)

 渋谷駅を出ると、すぐにあったのが並木橋駅であった。並木橋駅は、昭和2年828日、渋谷〜丸子多摩川(現多摩川駅)間開通とともに開業した。

 今も渋谷川に並木橋は架かっている。この並木橋のある通りは、かつての鎌倉街道で、この街道沿いに並木があったという。

 大戦中、東京もいくたびか空襲に見舞われたが、とくに昭和20524日から25日にかけての空襲でほ、渋谷周辺も火の海と化したという。逃げまどう市民は、水を求めで次々と渋谷川に飛びこんだのであろう。

 焼夷弾と、炎と、熱風を受けながら、並木橋駅も、逃げまどう市民を見ていた。そして昭和20年6月1日付で、並木橋駅は営業を休止し、21531日付で、正式に廃止となった


  「田園都市」ならぬ

  工業都市  (川崎市中原区)

 工業都市駅の開業は昭和141211日。府中県道との交差地点に、付近の工場の労働者の便を図って設けられた。

 第一次大戦後から第二次大戦前にかけて、日本の重工業は発展を見せるが、川崎でも、臨海部ばかりでなく小杉・中原付近の内陸部にまで工場が進出した。そして第二次大戦に突入すると、これらの工場も軍需工場として操業を続けた。多くの労働者が工業都市駅を利用したであろう。

 昭和206月、南武線との接続駅として武蔵小杉駅が開業。近接した工業都市駅は2841日付で廃止された。

 「田園都市」を大きく売り出した東急も、駅名まで「田園都市」をつけることはなかった。しかし、「工業都市」はあったのである。

 ちなみに現在「林間田園都市」という駅がある。さて、どこにあるでしょう?


  わずか3カ月の“復興”


  新太田  (横浜市神奈川区)

 東白楽駅を出た桜木町行きの電車が右にカーブを終えた直後、両側に張り出しているのが、新太田町駅の跡である。

 新太田町駅は大正15214日、丸子多摩川〜神奈川間開通と同時に開業した。当時は東白楽駅がなく、東白楽駅の開業は昭和2310日のことである。「太田」という地名の由来は定かではないが、「大きい田」という意味かと思われる。

 この付近は、昭和20529日の横浜大空襲で被災し、61日付で新太田町駅は営業休止、21531日付で廃止となった。

 しかし、新太田町駅はよみがえる。24315日から615日まで、近くの旧区役所跡で「日本貿易博覧会」が開かれ、期間中「博覧会場前駅」として、新太田町駅は復興≠オたのであった。わずか3か月のことであったが。


  ターミナルの“栄光も”


  神奈川  (横浜市神奈川区)

 
大正15214日、東京横浜電鉄神奈川線開通当時の終着駅は、神奈川駅であった。当時ここには、鉄道省(国鉄)神奈川停車場、京浜電鉄(京浜急行)の終着駅神奈川とあり、さながら一大ターミナルであったのだろう。

 昭和3年に、鉄道省が新たに横浜駅を設け、神奈川駅を廃止すると、東横、京浜とも横浜駅に乗り入れ、神奈川の終着駅の座は失われた。このころから、神奈川の凋落は始まる。そして戦後の昭和21725日、東横線神奈川駅は営業を休止し、2547日付で廃止となった。

 現在残る神奈川駅は、京浜急行のものだけである。しかしこれも2代目。しかも、大ターミナル横浜駅の隣で、普通電車しか停まらない。
 高島山トンネルのすぐそばにあった東横線神奈川駅も、もうあとかたもない。神奈川駅の栄光は、もう見ることもないのか。


  鉄骨も痛ましい


  平沼  (京浜急行線・横浜市西区)

 
戦火とともに消え去った駅としては、京浜電鉄(京浜急行) の平沼駅を忘れることができない。

 横浜駅を出た京浜急下り電車が、高架線にかかると、鉄骨をさらした駅の跡を過ぎる。これがありし日の平沼駅である。

 平沼駅は昭和61226日、京浜電鉄横浜〜日ノ出町間開通時に開業した。「平沼」という地名は、この地域を埋め立てた平沼九兵衛にちなむものである。しかし、東急時代の昭和18630日には、早くも営業を休止し、191110日付で廃止となっている。

 廃止となった平沼駅であったが、戦火による被害は甚大であった。昭和20529日の横浜大空襲で被災、駅舎は全焼して、今の姿となってしまったのである。空襲の跡を残す貴重な廃駅である。

                    ◇◆◇

 戦火とともに消えた駅・・・もし空襲がなかったら、今も営業を続けていたかもしれない。秋の一日、残された駅跡、何も残らない駅跡を訪ね、空を見上げた・・・。


    <主な参考文献、資料>

『角川日本地名大辞典 13東京都、14神奈川県』
『横浜の町名』 『川崎新中原誌』
『神奈川区誌』 『旭ヶ丘』
『東京横凍電鉄沿革史』
 『東京急行電鉄50年史』
『京浜急行八十年史』 『横浜の空♯と戦災』
『東京大空襲・戦災誌」

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