編集支援:阿部匡宏
            編集:岩田忠利     NO103 2014.7.12 掲載      

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歴史 地名H 生きている沿線の歴史  

  ちょっといっぱい…

  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』の好評連載“復刻版”
  
  
掲載記事:「地名 その15 昭和59年10月1日発行本誌No.24 号名「椎」
   執筆:桑原芳哉
(大倉山・学生) 絵:石橋富士子(横浜・イラストレーター) 地図:伊奈利夫(桜木町


  いやー疲れた〜。ひと仕事終えたあとの一杯、これがたまらないんだよね。

 昔の人々も、“一杯”には愛着があったようで、とうとう地名にまでなってしまったものがあリます。そこで今回は、「ちょっと一杯」にちなんだ地名をとりあげてみました。
 これが書き終わったら、ぼくもちょっといっばい…(ど−せコーラですよ!)。


  竜馬も“ちょっといっぱい”

  三軒茶屋(さんげんちゃや)  (東京都世田谷区)

 新玉川線・世田谷線の駅名でもある「三軒茶屋」は、その名の通り、かつてこの地に三軒の休み茶屋があったことからつけられた地名である。

 江戸時代、この地には信楽、角屋、田中屋という三軒の休み茶屋があり、矢倉沢往還(大山道)における休憩地となっていたという。今で言えばドライブインかサービスエリアといったところだろうか。大山詣の行き帰り、ちょっと休もうや、ということで立ち寄る人も多かったのであろう。

 ところで、この三軒の茶屋のうち、信楽という茶屋には、あの坂本竜馬が宿泊したこともあるという。このとき竜馬は東海道を通らず、裏街道を選んで江戸に潜入したのであった。

 現在は、東名高速と直結、となった首都高速3号線が、茶屋の上を通っている。


  お茶の名産地であった

  松濤(しょうとう)         (東京都渋谷区)

 「松涛」という名が地名となったのは、昭和3年のことである。しかしその起こりは、明治の初めにさかのぼる。

 明治9年、かつて紀伊徳川家の下屋敷であったこの地に、鍋島家が茶園を開き、「松涛園」と名づけた。そして、ここで生産きれる茶の銘柄も「松涛」とした。

 明治初期に、維新で荒廃した渋谷周辺の武家屋敷に、東京府(当時)はその屋敷跡地の茶・桑畑化を奨励した。その結果、松涛園をはじめ多くの茶園ができたのであった。そして、一時は「渋谷茶」として、広く知られるようになったが、明治22年の東海道線の全通によって、宇治茶、そして静岡茶が東京にも広く出回るようになり、また住宅地の急速な膨張も追いうちをかけて、渋谷の茶園は消えてしまったのである。

 「松涛園」も大正13年からは「鍋島松涛公園」となり、現在に至っている。

 
  ご存知、ビールの

  恵比寿  (東京都渋谷区)

  お茶ばかり続くと、アルコール党から不平不満が出そうなので、これからはアルコール類で、まずはビ−ルから。ご存知「恵比寿」である。

 明治3年に日本で初めて醸造された横浜山手のコープランドのビールに遅れること17年、明治20年に、下渋谷村の地に日本麦酒醸造の工場が建てられた。この工場では、三田用水を利用してビールの醸造を行った。そして商品名を恵比須信仰にちなんで「エビスビール」としたのである。

 明治36年、工場専用の貨物駅が山手線に開設されるにあたり、商品名をとって駅名が「恵比寿」となった。これが恵比寿という地名の起こりである。商品名から駅名、そして町名へ、珍しい例と言えるだろう。

 明治20年からのビール工場、現在でもサッポロビール恵比寿工場として操業を続けている。



明治34年、恵比寿停留所と「ゑびすビール」の工場

  お神酒の樽を作った?

  樽町  (横浜市港北区)

 ビールではもの足りない方に、ご利益のあるお神酒はいかがかな?

 その昔、この地は、現在でも南隣の師岡町にある師岡熊野神社の社領であった。そして、神社の祭礼の時にはお神酒の樽をこの地でつくり、奉献したという。このことから、「樽」という地名がこの地につけられた、との言い伝えが、地名の起こりについて残されている。

 しかし、この言い伝えを疑わしいとし、「タル」という地名について「雨の時に滝のようになる地」、あるいは「丘陵のなだらかなさま」、また「崖にちなむもの」など、自然の地形からつけられたとする説もある。

 このあたり、「師岡」「大曽根」「太尾」など、地形によると考えられる地名が多いだけに、地形による説の方が当たっているような気もする


  どうせ飲むなら

  木月祇園町(きづきぎおんちょう)  (川崎市中原区)

 どうせ飲むなら華やかなところで。沿線で華やかなところと言ったら……渋谷? 横浜? 自由が丘? いえいえ、何たって祇園≠カゃないの?
 舞子さんが歩きそうな「木月祇園町」、実際は社宅や寮が立ち並ぶ元住吉の住宅地なのである。

 「祇園」という地名は、京都のものがあまりにも有名であるが、西日本を中心に全国に見られる地名なのである。この地名は、インドの長者が釈迦のために建てた祇園精舎の名にちなみ、藤原基経が牛頭(ごず)天王をまつる精舎を寄付したことからつけられたもので、京都の八坂神社に始まり、各地に広がったものである。このため、天王社、あるいは八坂杜の建っている地に、多くつけられる地名である。「天王町」などと同じ由来を持つことになる。

 この地にもかつて天王社があったが、のちに住吉神社に合祀されている。NO.94でとりあげた神頼みの地名″の一種といえよう。

                              ☆

 それにしても、お酒からも地名ができてしまうとは・・・。世の中にはお酒の好きな人が多いんだな。まったくわからん、あのお酒が好きだなんて・・・。

 

    <主な参考文献、資料>

『角川日本地名大辞典 13東京都、14神奈川県』
『新編武蔵風土記稿』 『横浜の町名』
『横浜市史稿』 『世田谷区の歴史』
『渋谷区史』 『渋谷区の歴史』
『港北百話』 『川崎新中原誌』
『地名用語語源辞典』『地名の語源』

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