◆源氏の旗がたなびく、旗の台
池上線と大井町線の交差駅が、旗の台である。
だが、昭和20年の地図を見ると、ここには駅はない。池上線に旗ケ岡という駅があり、人々は、大井町線の荏麻町との間を、5分ほど歩いて乗り換えたという。乗客の便宜をはかるための新しい駅を建てた時、旗ケ岡に代わって、「旗の台」という駅名がつけられた。

池上線との乗り換え駅、旗の台駅
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この「旗」という言葉の由来を、旗岡八幡神社の松本氏に話をうかがった。長 元3年(1030年)といえば、今から約9百年以上も前のことである。平忠常が下総(千葉県)で反乱を起こした。討伐の命を受けた源 頼信は、一族郎党と共に、途中、この地に立ち寄り、戦勝の主護神である八幡大神をおまつりし武運を祈った。これが、隣の荏原町駅の近くにある旗岡八幡神社のおこりである。この時、源氏の旗が、この付近一帯にたなびいていたことから、「旗ケ岡」、「旗の台」の呼び名として残ったという。
旗の台は、源氏にゆかりの深い土地なのであろう。源氏前と名のつく、小学校や図書館もある。
文・濱田順代(都立大学・会社員)
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◆鎌倉時代の荏原氏の名前から、荏原
大井町に向かって、右手に降りると、沿線ぞいに商店街がひらけている。ここはずいぶん、賑やかで活気にあふれている。買い物カゴをぶらさげた主婦の人たちが、友だち同士連れだって歩いている。足を進めると威勢のいい声がかえってくる。普段着とサンダルばきがよく似合う街。
反対に左手に降りると、正面に法蓮寺というお寺が見える。坂道を少し登ると、旗岡八幡神社。
大化の改新の頃から、現在の品川、大田、目黒、世田谷一帯は、荏原郡と呼ばれていた。鎌倉時代、荏原左衛門尉義宗という人物が、荏原郡の地頭であったという。実在の人物であるという証拠はない。
法蓮寺は、彼が、日蓮宗に帰依した次男の朗慶を仏門に入れて開いた寺であるという。ちょうど、駅前に法蓮寺があるため、荏原町という駅名がつけられたと、現在、法蓮寺に住む第46代住職渋谷氏は語る。
残念ながら、戦争で焼けてしまったため、古いお寺を見ることはできない。古い資料も残っていない。
文・濱田順代(都立大学・会社員)
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庶民的で親しみやすい街の荏原駅
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