
昭和21年、大綱国民学校(現大綱小)2年生
日本軍、敗戦。そして米軍の占領下……。女の子の履物に草履が目立ち、服装も粗末ですが、子どもたちの表情は明るい。
提供:旧姓・黒須和子さん(港北区太尾町)
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昭和21年、“イモ泥棒”が頻発するサツマイモ畑
戦後の食糧難は深刻です。毎夜、イモ泥棒が出没するので、サツマイモ畑に見張りの番小屋(後方の小屋)があります。
学校から帰った弘くんは、イモ掘りの手伝いです。
提供:関口 弘さん(神奈川区六角橋5丁目)
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昭和23年、新川で魚捕り
場所は現日吉・元石川線の綱島街道の交差点付近。子供たちの頭上は、綱島街道の地下に埋没してある水道管です。
撮影:佐相政雄さん(港北区日吉本町1丁目)
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昭和22年戦後復活した祭りに参加した子供たち
場所は千鳥町駅前の千鳥町商英会事務所前。初めての記念写真なのか、子どもたちの表情は緊張ぎみ。どの子の服装にも戦後の物不足時代が反映されているようです。
提供:池田宗三さん(大田区千鳥1丁目)
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昭和24年、矢上川でお花見
矢上川の両岸に桜並木があり、春は桜の名所で花見客で賑わった。女の子もお花見です
撮影:佐相政雄さん(港北区日吉本町1丁目)
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昭和25年、祭の山車を引いた子供たち
この頃、トビヒ(皮膚炎)が流行っていて、顔に真っ黒いクスリを塗った女の子が……。それでも浴衣を着て、お友だちとお祭りには出たかったのですね。
提供:田中介子(よりこ。神奈川区羽沢町)
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昭和26年蜜蜂を飼って蜜を採る養蜂部の生徒 昭和24年から30年頃にかけての谷本中学校は斬新な社会活動と文化活動が盛んな学校でした。生徒会の名称を「子供協同組合」と呼び、生徒がさまざまな協同事業を行い、その売上金は組合運営資金に当てるのです
提供:村田 勇さん(青葉区もえぎ野)
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昭和27年、ベーゴマで遊ぶ男の子
イガグリ頭の友だちが歓成院境内でベーゴマに夢中です。
おい、後ろ向きの子、ズボンのお尻、ヤブけてるんじゃないの?
提供:摩尼和夫さん(港北区太尾町。歓成院住職)
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昭和28年夏休み、円融寺で子供会のラジオ体操
この年、碑文谷1丁目周辺の子供会“みつばち子供会”が発足、目黒区議・谷村ヒサさんが初代会長で世話役に神崎新吉さんと新塚喜久太郎さんが当たり、子供たちの面倒を見ていました。
提供:萩原正徳さん(目黒区目黒本町3丁目)
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昭和29年、武蔵小山駅前の路地で遊ぶ子
戦後5年が経ち、子どもたちのヘアースタイルが変わりました。長髪です。世の中、経済的な余裕が出てきたようです。
提供:中村博一さん(大勝堂。小山3丁目)
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昭和29年7月、写真上のテレビの前に群がる子供
人気番組のプロレスをテレビ観戦する勝田町や大棚町の子どもたち。もう、この子たちもお孫さんのいる年代です。
当時のテレビ放映は民放がなくNHKだけ、しかも放映時間は1日約4時間。歌番組などの娯楽番組は少なく、爆発的な人気番組はプロレス中継。アメリカのシャープ兄弟を力道山が天下の宝刀“空手チョップ’で一撃するシーンに大人も子供も溜飲を下げたものでした
提供:関岳夫一さん(都筑区勝田町) |
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昭和30年夏、店頭の路上で勉強する子
右手の魚屋さんは当時平和通りの脇道で商売していた“山や魚店”。店主の鈴木粂次郎さんは当時元気でしたが今は故人。店内では店を手伝う小学校5年生の三宣さん、路上で勉強する弟の繁さんが印象的。
提供:萩原正徳さん(目黒本町3丁目)
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昭和33年、おままごと。妹は静かに見学です
提供:加藤光子さん(神奈川区平川町)
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昭和31年、子守り
いとこをおんぶする美津代ちゃん
提供:金子貢(青葉区荏田町)
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昭和33年、子供会の山車
台車は町会で購入、屋根は障子戸2枚を組んだものですが、子供は大喜び。左の女の子は大倉山動物病院長・茂木知子さんだそうです。
提供:佐々木滋さん(港北区大曽根台)
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昭和34年3月、路上でフラフープに興ずる子
昭和33年10月に日本に上陸したフラフープはたちまちブームになり、半年で400万本売れたそうです。 直径1メートルほどの輪を、腰を振って胴で回す遊びですが、腰を痛めるケースが続出、すたれました。その後は「ダッコちゃん」ブームに。
提供:秋葉正一さん(神奈川区白幡上町)
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昭和36年、鳩を飼っていた少年
提供:森 實さん(青葉区市ヶ尾町)
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昭和40年、幼稚園
たまブラーザや荏田地区では幼稚園はここ小桜愛児園だけ 提供:金子貢さん(青葉区荏田町)
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