編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏

                              NO.63 2014.6.11 掲載                                  
 

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樹木

縄文時代から続く 茅葺き屋根(後編)

                      文・編集:岩田 忠利(「とうよこ沿線」)

  縄文時代から続く茅葺き屋根の住居は、昭和時代の昭和四十年代からの高度成長期に一気にその姿が消えていきました。
 その反面、日本古来の伝統文化を未来に残そうという行政機関の活動も見られた時代でもありました。
 
 神奈川県はその場所に県指定の保存家屋として、また横浜市と目黒区などは公園に移築し保存、市民に公開しています。また、川崎市は複数の家屋を多摩区に移築して「川崎市民家園」という公園にして有料で一般公開しています。
 どうぞ古民家をお訪ねください。

 
                                                  
 
  昭和30年代〜40年代撮影の茅葺き屋根



昭和34年初夏、飯田助知家の長屋門前で田植え
 
 提供:鈴木輝明さん(綱島台)




写真左の長屋門(右手)は県保存建物の現在

 田んぼは盛り土をして駐車場と住宅に変わっています。左後方の建物は綱島郵便局。 撮影:岩田忠利



 昭和40年、都筑区牛久保金子入の長沢助夫家

 
この茅葺きの大きな家は現在、写真右のように都筑民家園に移築、公開されています。
  提供:関 利治さん(都筑区牛久保西)



都筑民家園に移築、公開中の写真左の長沢家

 この長沢家の家屋は18世紀中期〜後期の作で、約200年前の材木が使われているそうです。
  2013.8.5 
撮影:石川佐智子さん(日吉)




 昭和37年、収穫を終えた晩秋の庭先

 
縁側にメジロの鳥篭が吊るされ、庭に稲の掛け干しの竹、放し飼いのニワトリ、縁側に学校から帰った長男・稔さん、玄関先に母親の姿……。実りの秋の、のどかな光景です。
 提供:高橋 稔さん(港北区岸根町)






写真左の家が新幹線の高架下に当たり、翌年38年解体工事
 左後方が大倉山の丘。今は後方は高層ビルの新横浜の市街
 提供:高橋 稔さん(港北区岸根町)




昭和37年、南山田・小泉菊五郎家庭先

家族総出でネギの出荷準備です
提供:小泉光秋さん(都筑区南山田町)







南山田・堀之内谷戸、小泉菊五郎家の屋敷

右手の茅葺き屋根3棟です。左手の家は小泉市郎家





昭和40年、田園都市線高架下から通称「丸山の水車」と右手の茅葺きの家、野本ヤス宅を望む
  
撮影:根本藤吉さん(あざみ野


写真左の野本家は駅前、竹やぶの中に今も茅葺き屋根の家です
 撮影:岩田忠利






昭和48年鶴見区獅子ヶ谷の横溝和子家

江戸末期建築の長屋門・母屋がある通称「横溝屋敷」
提供:滝川定雄さん(鶴見区上の宮)


 写真左の家は現在「横浜市農村生活館」

名称は「横浜市農村生活館 みその公園<横溝屋敷>」。屋敷内の建物5棟の茅葺き屋根などは修復され、江戸期の農村生活品を展示、公開中
です


牛も同居していた間口11間(約20b)の母屋

家族と共に働く牛は家族同然、母屋の中の牛小屋で飼っていました
  提供:磯貝稔さん(白山)


昭和49年テレビアンテナが茅葺き屋根に立たず庇に立てた家
 提供:河原一昭さん(緑区長津田町)


 昭和50年年代以降撮影の茅葺き屋根



     昭和54年8月、解体移築工事風景

 
緑が丘の栗山家は江戸時代から「年寄」という村の重鎮。長屋門の柱には外出の際、乗ったお籠が備え付けられていました
提供:栗山重治さん(目黒区緑が丘1丁目)


    写真左の栗山家の母屋

 
目黒区指定文化財として目黒区碑文谷3丁目の「すずめのお宿緑地公園」内に移築、修復されて一般公開されています







平成13年10月現在、中原街道沿いの池辺町・田丸保男家

 この家が私が撮影した最新の茅葺き屋根の家。おばあさんが独りで住んでいるとのことでした   撮影:岩田忠利
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