編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 
                        NO.50  2014.5.20 掲載
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ガーナ 西アフリカのガーナ共和国見聞録
 
ガーナの風俗

                    投稿:浦野 勝雄 (世田谷区給田)                    


      ガーナの人たちの服装



  日本とガーナの衣服着用の違いは・・・


  ガーナの女性はスカートまたは短いパンツにTシャツ、男性はパンツにT シャツまたはシャツ姿が一般的です。衣装は明るい色を好み、たぶん強烈な太陽光に影響されているのでしょう。

 役所や企業の従業員は日本と同じで、男性はズボンとワイシャツ、女性も日本の女性とほぼ同じ服装をしています。 
 工事現場などの作業員はわりに自由な服装です。日本のように安全靴、作業着は着用しません。



  ガーナ滞在3カ月で一番の感激

 ある時、現場監督が面白い綿のチョッキを着ていて、涼しそうであったので、「素晴らしいチョッキだね」と褒めました。生地は厚く一見暑そうですが、涼しいという。袖がなく、腕の出る部分が大きく開いているので、風が通るのだそうです。彼はTシャツと同じ感覚で着ています。確かに肌とシャツの間が空くので風が通りやすそうです。

「お前にも次回来る時までに作っておくから着用してみろ」とのことでした。話はそれで終わり、その後私はそのことをすっかり忘れていました。約2カ月後、再度ガーナを訪問したとき、忘れていた贈り物が届きました。
 「約束したようにチョッキを作った。すぐ着てみろ」というので、「ホテルに帰って着てみるよ」と返事して礼を言いました。アフリカで自ら縫製したチョッキを頂戴したのは初めてであり、その彼の好意に感激、たいへん嬉しかったのを今も覚えています。



彼からの贈り物、手縫いのチョッキ

ホテルに帰って着用してみました。生地は厚く、重いしそれほど着心地の良いものではないのでした。
 驚いたことに、チョッキの裏生地は
, 何かガーナ製品を入れて販売する粉袋のようです。たぶん会社の名前、製品名、などの印刷がそのまま残っています。断片的に切り取られているので製品名、会社名は、はっきりとは分かりませんが・・・。彼らの生活状況がよくわかる製品で、このような生活状況でありながら、わざわざチョキを作ってくれたことを思うと嬉しく大変重要なものを頂戴した思いで感激しました。
 でも、このチョッキを日本で着用することはできず、そうかと言って処分もできず、どうしたら良いか迷っています。












街かどでおしゃれな若い男女    2012/12



路上販売人、女性の衣装
 2012 アクラ



チョッキの裏地は粉袋だったようで・・・

  靴は一般市民にはまだ高根の花


  日本人の靴は羨望の的

 企業、役所の従業員は靴を履きますが、一般に街を歩く人や学生は靴を履かず、ゴム草履です。 

 ショッピングモールでは靴など西欧式の靴を販売していますが、購入できる人は限られています。日本人が履いている靴は彼らにとって羨望の的です。中国製の安い靴でもまだ一般の人には高根の花、高くて購入できないのです。







週末青空マーケットのサンダル販売
013
アクラ・マーケット
 

            道路に沿って横5行に並ぶ店・・・週末青空マーケット


  現地人の案内なしには歩けない混雑

 週末になるとあちこちで、青空マーケットが開かれます。
 大きなマーケットは旧市街のマーケットです。道路の両側の店の前に、店が出て、さらに道路の中央にも店が出ます。結果、5列の店が道路に沿って開店するのです。その間を無数の人が買いたい品を求めて徘徊します。現地人の案内なしには、とても歩けるものではないのです。住民は、生活用品をこの週末青空マーケットで購入します。

 道路わきの広場は小さな商店でごった返します。人々は安い商品を探しにやって来ます。
 同行した運転手は日本円で200円の腕時計を買いました。「動くのか?」と聞いたら問題ないとの答え。いったいどんな時計なのでしょう。
 マーケットでは必要なものは何でも揃います。でも外部の素人にはその店を探すのが大変。最初から質の良い商品なんて見当たらないのだから、ここでの買い物は諦めたほうが良さそうです。




道路がマーケットに変身し人の波が押し寄せる旧市街地の週末マーケット  2013 アクラ


            物凄い数の路上販売人


 販売人は一人T品、あらゆる物を販売します

 ガーナ到着後最初に目に入るのは、路上での物品販売人の多さです。信号で車が止まると、ものすごい数の路上販売人が車へ寄って来ます。販売しているものは日常生活用品、食糧(食パン、菓子類、果物など)、飲料水をはじめ、信号待ちの短時間に購入する人がいるのかと考えてしまうような品物、たとえば靴、椅子、額入りの大きな絵画、地図類、地球儀、本などなど……。



信号で停車すると窓際に寄って来る路上販売人               2012/12

販売する人はそれぞれ親方から商品を借りて販売し、手数料を得るとのことです。販売人はそれぞれ1種類の商品を販売しています。



重い飲料水を頭に乗せて売り歩く女性



   こちらはいちばん楽なカード売り

携帯電話のプリペイドカードは店で買っても彼らから買っても同じ値段。カード売りが一番楽な商売、利益も最高らしい。でも販売できる人は限定されているようです

  頭上に荷物を載せてのバランス感覚と移動販売の欠点

 荷物は頭上に載せて運びます。この状態で走ったり、しゃがんだり、体をねじったり、自由自在です。そのバランスの良さには驚嘆します。

 販売人は移動するので、昨日いた同じ場所でまた、同じものを買いたくても、購入できないのです。これが店売りでない欠点ですが、食料品などは多くの販売人が同じ商品を売っているので、買うことはできます。


       月曜日から木曜日まで葬儀を行わないガーナの葬儀の慣習



  ガーナは葬儀の習慣が日本と違います

 金曜日の夜、現地のスタッフがみな早く帰るのです。「何かあるのか」と尋ねたら、同僚の葬儀に参加するとのことでした。その時は日本と同じように実施するのかと思っていましたら、翌日土曜日町に出ましたら、霊柩車が異常に多いのに気づきました。「なぜ今日はこんなに霊柩車が多いのか」と運転手に尋ねたら、「ガーナのキリスト教徒は金曜日に葬儀をし、翌日土曜日に埋葬し、日曜日に教会へ行ってお祈りをする」そうです。
 
 月曜日から木曜日までは葬儀を実施しないとのことです。キリスト教徒は世界中どこでも同じなのかどうかはわかりませんが、合理的な方法だと感心しました。



 地域により喪服の色が黒・白・赤と異なります

 
また参加者の喪服が、日本と同じように黒い喪服の地域、白い喪服の地域、赤い喪服の地域と場所によって変わっていました。運転手に尋ねてみましたが、理由は分かりませんでした。たぶん部族の相違だろうと自分は思っています。


    世界一大きな人造湖、ボルタ湖とガーナ電力需要の60%を賄うアコソンボダム


 
ボルタ川をせき止めて建設したボルタ湖は世界一大きな人造湖です。湖は発電用ダムが主目的ですが、灌漑用にも使用されています。元々は1965年にアルミニューム製錬用の電力の発電用として開発されました。
 アコソンボダムはロックフィルダムで高さは
147m、湖の長さは400kmにも及びます。

 発電機は合計8基、発電容量は1206MWですが、水量の変化により100%の稼働はできないのです。しかしガーナ電力需要の約60%をカバーしています。ここは、ガーナの観光名所の一つになっています。



アコソンボダムの堤頂から上流を望む 2012



アコソンボ ロックフィルダム



ダムから発電機への導管

 


アコソンボダムの取水口







ダム見学の専門学校生徒






                走る車の大半がトヨタの中古車



  成田山・新勝寺のお守り付きも

 ガーナの道路を走っている大半の車はトヨタの中古車です。新車も走っていますが、新車の多くは韓国の起亜自動車製。

 我々がハイヤーしていた車はトヨタの中古車で運転手がスイッチを入れると「カードが入っていません」と声を出します。 運転手はそれが何を言っているのか、わかりません。また成田山・新勝寺のお守りがついている車も走っています。



ほとんどが日本の中古車 2012/12





過積載のトラックが多い。パンクし今にも横転しそうなトラック
 
アクラ郊外 2013/4


               高速道路並みに整備された幹線道路


 アクラ市内の道路はほとんど舗装され、隣国へ通じる幹線道路は高速道路並みに舗装されています。

 現在アクラ市内の発展とともに、渋滞も激しくなり、道路整備も進められていますが、車の増加に追いつかないようです。
 朝、夕の通勤ラッシュ時は十数分の距離をT時間などという渋滞個所もあります。この渋滞を利用して、例の路上商品販売人が活躍するのです。





ガーナの幹線道路
 2013 /4

アフリカ大陸は大きな起伏がある。道路も長い下りと上りがある



農村の道 アクラ郊外2013

雑草と作物の境界が分からない畑が多い。多分雑草の生育が早すぎるのでしょう

                        ガーナで活躍する大和なでしこ



 宿泊したホテルの玄関前の植え込みに<日本人妻をたたえる碑>(写真右)が据え付けられています。



 一人娘をガーナに嫁がせた母親

 
彼女は小さい子ども3人を残し、病没しました。亡くなられたとき下のお子さんは2歳だったそうです。孫を不憫に思った日本のおばあちゃんは毎年2回、単身で一回約3ヵ月ガーナに滞在して、孫のお世話をしています。
 彼女にお会いしたとき下のお孫さんは小学生になっていました。彼女はその時
70歳でしたが、孫たちへ母親が作ってくれた日本料理を作り、日常の世話をして毎朝学校へ送りだしておられました。ご主人は成田から17時間もかかる長旅に耐えられないので、日本で待っているとのこと。
 将来孫たちが日本へ留学することを考えて、マンションも広くしたと言っていました。
一人娘を遠い西アフリカの男性に嫁がせた母親でなければできない強い親の愛を教えられました。



ホテルの玄関脇にある<日本人妻をたたえる碑>2012/11

    ガーナで活躍する日本人妻たち

 この女性と同じように、アクラ市で数人の日本人妻にお会いしました。みなさん仕事を持ったキャリアウーマンでバリバリと仕事をしている人たちです。
 遠い西アフリカの地で、現地と日本の橋渡しをしながら日夜働いている日本人女性のたくましさを見て、心強く思い、かつ感動しました。

最近、テレビは外国で活躍している日本人女性、なかでも現地妻となって仕事をしている女性たちを放映しています。ガーナでお会いした女性と同じように世界中で孤独に耐え日本と、かの国のために働いている日本人女性を私は誇りに思っています。
  私が訪れた途上国の若い男性は日本人女性と結婚したいという人が多いのです。なかには真面目に紹介してくれるよう依頼されたりします。ガーナで活躍されている女性、またテレビに出てくる日本人女性を見ると、彼らの希望がわかるような気がします。

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