1. 会社や団体などの記念誌やパネル展にも使われる古写真


 ポストからはみ出していた本

 きょう5月3日、編集室のポストからはみ出している1ミリ以上もある厚い表紙でA4変形の大判の本(写真右の最下段中央)が届いていました。表紙を見ただけで楽しくなるような、農家の庭先で祭り神輿を前に少女二人が祭りうちわを振るイラストが描かれています。書名は『昔のくらしと道具』シリーズの第5巻「祭りと行事と道具」と書かれています。
 はて、こんな立派な本を贈ってくださったのはどちら様? と送り先を見て、思い出しました。2カ月ほど前に昔の結婚式の写真を貸してほしいとのことで送った出版社・地人館の佐藤さんという方からでした。すっかり忘れていました。

 警察署や消防署の記念誌にも

 今までにもいろいろな所から昔の写真の掲載依頼があります。右の写真は出版社や公立の小中学校や教科書出版会社に写真提供した出版物です。

 なかには私の想定外の先からの依頼も。会社創立記念誌のほかに、警察署と消防署の創立○○周年記念誌、酒屋さんの組合創立50年記念誌、マンション管理組合の記念誌など。いずれも、創立当時からの地域の変遷をふり返る思い出の写真として活用されています。


 パネル展示会

 紙媒体ではありませんが、昔の写真をA3判のパネルにして公開する「パネル展」は、今までかなり大がかりなものをやってきました。神奈川区制80周年記念まつり、くらしの友社創立50周年、江川せせらぎ緑道第1回まつり、あざみ野まつりなど。

 


 『とうよこ沿線』から転載の昔の写真が載った本
  昭和期発行を除く、平成期発行の出版物のみ





 2.出版社から出た本
 


 小峰書店 平成26年4月8日発行
 図書館用堅牢製本
 定価(本体2600円+税)
 『昔のくらしと道具』
 第5巻「祭りと行事と道具」

 A4判

★「図書館用」と裏表紙に書かれていますが、祖父母が孫さんに昔の暮らしと風俗習慣を話して聞かせるテキストとして最適な本です。街の書店で求められるようにしてもらいたいものです。


 この本は昔から残る道具や行事などを手がかりに、日本人の暮らしの変化を絵と写真で現代っ子に教える本です。
 このページの題は「座敷で結婚式」。私が提供した写真は、左の写真で花嫁が三々九度の杯を手にする場面。左上には祝い酒を入れる「角樽」と「さかづき」。
 右ページには「床の間」「座敷」「ふすま」についての説明が。また右下の「蔵」の写真には祭りや結婚式など、特別な時だけ使う大切なものをしまっておく所、と説明しています。
 マンション住まいの現代っ子には、みな珍しく、新鮮に映るのでしょうね。





 平成25年3月25日 八月書館発行
東京をくらす……鉄砲洲「福井家文書」と戦災復興
 
 A5判 本文371ページ
別冊『福井家文書』目録、2冊入り箱付
  定価:本体4200円+税
















 右の本は、明治40年から大正期、昭和期まで2000近くの福井家の文書を目録にしたもの。左が2冊入りの箱






 福井家は東京市京橋区本港町(俗に「鉄砲洲本湊町」といわれた現在の中央区湊1丁目)で3代にわたって貸地・貸家業を営んできました。
 その書類は土地・家屋の図面や権利書、売買契約書、貸地・貸家契約書、火災保険証書、家賃簿の類が多い。
 すでに法律上、失効したこれら書類を福井家が和光大学に寄贈したことで同大学表現学部教授・塩崎文雄さんを中心に同大同学部准教授・長尾洋子さんら4名の執筆陣が当時の文書をもとに現地調査し、東京市民の暮らし向きと生活文化を、時代的背景とともに捉えた本書です。




 「関東大震災後、横浜市の地価は、中央部が震災前とほぼ横ばい、居留地・山手は下降傾向にあるのに対し、中心を離れるほど高い上昇率を示し平均で2倍、ときには5倍にも。とりわけ鉄道沿線は高騰が激しく、北綱島町は地価高騰の最前線にあった」と描かれています。
 福井家は、この地価値上がりを見越しての投資、4587坪の土地購入でした。


 上記の和光大学准教授・長尾洋子さんから私の写真集に載っている右ページの2枚の写真を借りたい旨の電話がありました。
 掲載紙面を読むと、見出し「東京横浜電鉄による沿線開発」に福井家当主・福井久信が横浜市神奈川区北綱島町字北前耕地1221番の土地、4587坪(約1.5f)を1万7500円で購入した」とあります。昭和8年5月のことです。北綱島町は現在の綱島西3丁目から6丁目と綱島台。当時はまだ港北区制がなく、神奈川区でした。
 本には「北綱島町には東横電鉄が通り、隣接する南綱島町には綱島温泉停留所が立地している」と記述。



平成17年8月10日 小学館発行
定価(本体4200円+税)
「ビジュアルNIPPON 昭和の時代
A4判 287ページ カラー紙面








 高度経済成長期から現代までの育ち盛りの「昭和の時代」50年間の軌跡。
その変遷をデータを棒グラフなどと写真で語る昭和の日本と今の日本。
 この本は大変好評でだいぶ売れたそうです。
 私が提供した写真は、「わたくしのふるさと関東編」の右上、「昭和30年の木造の小さな駅、横浜駅西口」です。現在乗降客数、全国第4位の横浜駅の姿とは、平成生まれの人たちには信じられないことでしょう。




教育出版梶@平成22年3月10日検定済
『小学社会 3・4』上巻
サイズ:B5判変形




おじいさん、おばあさんが子供のころ


 暮らしがどのようであったかを家事や戦時中の学校生活、町の様子や大水のときや子どもの遊びを祖父母から話を聞く。

 右ページの昭和34年と同50年の大倉山〜菊名間の風景、昭和51年の太尾町の大水の場面が提供写真



お父さん、お母さんが子供のころ

 自宅で両親にインタビュー、本や資料で調べ、ノートにまとめ、祖父母・両親・自分の3世代を絵入りの年表で表し、みんなで発表しあいます。

 提供写真は、上記の風景写真と多摩川鉄橋上流の汚染された流れ。



  3. 学校記念誌



大田区立矢口西小学校
 『開校90周年記念誌 しいの木』
 平成22年10月30日発行
 サイズ:A4判

 記念誌名の「しいの木」は、写真のように校庭で児童の成長を見守り続ける大きな椎の木です。









 提供写真は右頁の昭和10年から同11年当時の学区内の風景写真3枚。
 大見出しは「太平洋戦争のころ」、小見出しが「町の変化と児童数増」。

 「昭和12年(1937)日本と中国が中国全土で戦い、日中戦争が始まった。今まで畑だった多摩川ぞいの広い土地に、多くの工場が建ちはじめた。工場のうちの多くは、戦争の道具を作っていた。大工場とともに、町のあちこちに小さな町工場も増えていった。
 工場とともに住宅も増えたので、矢口西小学校の児童数は、昭和10年の550人から昭和13年には1017人(19学級)に増え、教室が足りなくなり、1・2年生は2部授業をしていた。」



横浜市立二谷小学校
『創立百周年記念誌 ふたつや』
平成17年11月19日発行
サイズ:A4判 カラー誌面









 タイトル地域の今昔

 ここに提供の写真は左ページの写真3点。昭和28年の熊野神社の祭り情景、昭和8年の洲崎大神大祭の行列、昭和24年の日本貿易博覧会・会場の写真です。






 タイトル地域の今昔 

 提供したのは右ページの平川町通りに乗合馬車が走っている写真と本誌『とうよこ沿線』7号掲載の「大正初期の平川町通りの町並み」再現イラストマップ。

 左ページの「昭和29年の市電六角橋停留所」と昭和43年8月31日、最後の横浜市電が東白楽駅前を走る情景です。
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NO.34 2014.5.3. 掲載

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樹木  

書籍・教科書・学校記念誌に載った古写真

文・編集:岩田 忠利