NO.26 2014.4.18 掲載

投稿:湯浅嘉之(徳島県徳島市在住)                                                           

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何気なく手にしたパンフレット


 食卓に載っていたパンフレット(徳島西部地区で発行)を何気なく見ていたら、「鴨島町の歴史は阿波伊部とともに?」という投稿記事が目に飛び込んできました。

 記事には、
 昨年、開催された日本麻フェスティバルが紹介されていました。忌部の織物文化に関する展示、太布の展示と実演、木綿(ゆう)の展示などがあったようです。

  阿波忌部と麻織物、天皇の麁調製

 *注:阿波忌部と麻織物、大嘗祭の麁について阿波伊部は大嘗祭のときに宮中に麁服(麁・・・あらたえ)を供進する役割を担っています。
 麁服とは、天皇が即位後、初めて行う践祚大嘗祭で、悠紀殿・主基殿の神座に
神衣(かむそ)として祀る織物。      
 上古より阿波忌部氏の役割で、指名された忌部の氏人が御殿人(みあらかんど)となり、麁服神服(あらたえかむみそ)
として調製する麻の織物です。
 奈良時代前期の持統天皇(687年〜696年)の頃には中臣氏は壽詞を奏上し,忌部氏は祭祀官として、供物,祭祀具等を忌部一族が作るということになっていた。
 しかし、中臣氏に負けて忌部氏は次第に除外されたが,大嘗祭の麁服の調製奉仕は現代まで続いています。



以前に行った剣山木綿麻温泉
撮影:著者


以前に行った山上にある三木家住宅。阿波忌部の直系      撮影:著者



今上天皇の即位のときに運ばれる麁服
提供:著者













 「木綿」と「麻」で「木綿麻」、その読みが「ゆうま」とは?

 その記事を見ていて、あれっとなったのが「木綿・・・ゆう」という単語です。
 百名山の剣山のアクセスするルートは幾つかありますが、最も一般的なのが、貞光〜つるぎ町を通り、登山口のある見ノ越までの国道438号線です。

 その途中に温泉施設があり、そのひとつが「木綿麻温泉・・・ゆうま温泉」。 この木綿(もめん)と麻の組み合わせ、そして木綿を「ゆう」と読ませるのが、以前から不思議に思っていました。

 この紹介記事によると、阿波忌部は麻織物だけではなく穀の繊維で木綿(ゆう)と呼ばれる布も作っていたそうです。
 この穀を使用する文化は、東アジアに拡がる照葉樹林文化らしい。
 はて、「穀」とは? なんでしょう? 穀物の穀・・・藁?。違います!!!

 じつは、木です。穀の木(カジノキ)からきてるらしい。そして、穀の木はクワ科の落葉樹で楮(コウゾ)の木のことだそうです。

 やっと、木綿麻温泉の意味が判明です(^^)/。
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樹木
剣山木綿麻温泉の意味がやっと判明