更新 2013.9.10

写真はクリックし拡大してご覧ください。
連続して見るには、左上の「戻る」ボタンをクリックしてください。

20
第1回東横沿線を歩く会




 1982年6月13日、本誌掲載の名所旧跡を探訪するオリエンテーリング。菊名東口駅前から鶴見区馬場町の藤本農園(現花木園)まで

順次出発した各班がゴールの鶴見区馬場町の藤本農園に到着する

21
『とうよこ沿線』と同年の赤ちゃん、食事と横浜湾内一周の遊覧船招待





 1982年8月、ザホテルヨコハマと遊覧船「赤い靴号」の協賛で、創刊2周年記念に「とうよこ沿線」の創刊と同い年の赤ちゃんとその家族16組を招待

22
来日間もないハワイ出身力士の餅つき





1982年9月5日、自由が丘南口商店街(現マリクレール)主催の「チャリティー餅つき大会」の取材。
ハワイから来日したばかりの若い力士がぎこちない手つきで杵を持ち、餅つき。その名は「若高見」。のち、めきめき頭角を現し大関昇進の「小錦」、青春時代のひとコマ

左が大関・小錦の若い頃

23 .
第2回東横沿線を歩く会





 1982年9月26日、大田区田園調布・宝来公園から世田谷区野毛公園までオリエンテーリング。同公園の屋外に野外ステージをつくり友情出演の「横浜カルテット」のナマ演奏を聴く。

24
第1回〜第6回綱島文化寄席開催





 1982年10月16日、第1回綱島文化寄席を三遊亭遊三、同小遊三、春風亭柳橋、柳亭小痴楽ら落語家の協力を得て綱島の中国料理店で開く。翌年11月3日まで6回、隔月で公演。出演者は毎回出血サービスで熱演、立ち見がでる賑わい。
いろんな愉快な噺家が次々見えました。
写真は三遊亭小遊三さん

25
335人が参加の.『とうよこ沿線』イラスト・マンガ大会
各界著名人が審査委員で





 1983年1月、小学生から社会人まで335名が応募。全作品をホテルザ・エルシーのロビーに展示し一般公開。題は「21世紀のお正月」。審査員は淡谷のり子、王貞治、楠本憲吉、矢口高雄、高峰三枝子、中井貴一、三雲孝江さんら。


巨人軍多摩川グラウンドで忙しい監督業の合間に応募作品を審査される王貞治監督


武蔵小杉駅前のホテルザエルシ-で各賞表彰式




小学生の部、中学生の部、高校生の部、大学生・社会人の部、各賞受賞者



26
会員・平井雅、「現代っ子しつけレポート」取材で渡米




 1983年1月、アメリカと東横沿線の母親アンケート比較を取材のためカルフォルニア州へ渡米。第14号から16号に連載。

27
特集取材2チームが三宅島と西伊豆へ取材




1983年6月、
大自然の中で教育問題と真っ向から取り組む二つの集団「三宅島 人間牧場」と電気・ガス・水道のない生活体験の場を子どもたちに提供する 「西伊豆・田園調布ホピア」を取材する2チームが出発

電気もガスも水道もない西伊豆山中。その非日常的な3泊4日の生活体験取材中のスタッフ。帰ってきたスタッフ諸君に感想を聞くと「楽しかった〜、いくらお金を払っても泊まれない最高のホテルだもの!」
中学生会員の数野くん、どんなに眠くても朝起きたらマキ割りが担当。彼が寝坊すると、全員が朝食にありつけないのだ。責任重大!

28
「わが街シリーズ」連載スタート!





1983年9月、毎号一定地域を多方面から徹底取材する「わが街シリーズ」が3班、3地域に分かれて取材。第18号“梨”の特集「元住吉・日吉・祐天寺編」から開始!

29
連載「沿線の河川」も、
一色隆徳(学生。祐天寺)をチーフに始まる!





 1983年11月取材開始。太古から生活用水だった沿線の川・・・。それが今“死の川”と化した現状を源流から河口まで探索する連載「沿線の河川」。第1回は19号“柿”の「目黒川」。以下、順次第36号まで連載。A二ケ領用水 B六郷用水 C多摩川 D谷沢川 E鶴見川 F矢上川 G渋川 H呑川 I九品仏川 J滝の川 K三田用水 L渋谷川

30
独身男女出会いの場「縁線で愛コーナー」連載好評!




 1984年3月発行の第19号から第29号まで交際希望の男女が誌面に登場。その数合計126名。そのうち8組が「とうよこ沿線」が縁結びの神となり、めでたく結婚

31
毎戸へチラシ配り(ポスティング)、開始!




 1984年7月から特集号宣伝のため会員がチラシを毎戸の郵便受に投函して歩くチラシ配り(ポスティング)。毎号1万部〜3万部印刷。

 第23号「大倉山特集号」から始める。24号「都立大学」、25号「綱島」、26号「自由が丘」、27号「反町・東神奈川」、28号「田園調布」、29号「横浜」、30号「中目黒」、32号「日吉」、33号「元住吉」、など東横沿線地域だけでなく大井町線・目黒線・池上線・南武線・横浜線など各沿線の43号「武蔵小山」まで続けた。
 その範囲は都内の東が港区青山の青山学院大学、北が東名高速道路・用賀インター、南が第二京浜国道。川崎は北が溝の口、南が鹿島田。横浜の南端は港の見える丘や山手の丘まで。当時はまだポスティングは少なく、会員の一軒一軒回る地道の努力は即効性があり、その日のうちに書店の在庫がなくなり、夜は車で特集号の追加納品で忙しい。これで、「とうよこ沿線」の知名度は一気に急上昇

32
西郷道一横浜市長との懇談会とヘリで上空から横浜市内視察




 1984年7月31日、編集長・岩田忠利と編集次長・鈴木善子が横浜市市民局主催の懇談会に出席。テーマは「西郷道一横浜市長と語る『横浜の街づくり』」。
 岩田編集長から「東横沿線の駅前の駐輪問題の現状を訴え、市側の対応策について質問する」。閉会後、本牧からヘリコプターで横浜上空から市街地・神奈川区・港北区・都筑区・青葉区などを視察する。

33
読者向け「中国料理の実習と試食会」




 1985年2月24日、川崎市中原区・小杉会館で。講師は料理研究家・波多野須美さん。定員50名、会費500円(材料費込み)。大幅に定員オーバー。

34 .
衣料品・家庭用品の不用品交換会




 1985年4月21日、読者に呼びかけ、編集室1階でお中元・お歳暮・渡来品を持ち寄り、即売会。手数料は売り上げの10パーセント。綱島街道に面する編集室とあってドラーバーやご近所の人も集まり、賑わう。

35
創刊5周年記念、総額50万円の愛読者プレゼント




 1985年8月、第29号“桑”で読者600人が当る総額150万円相当商品の数々をプレゼント!

36
全国408誌の中から選ばれ「第1回NTTタウン誌大賞」受賞!




 11月のある日、突然朗報が舞い込む! NTT事業部が全国に新聞・テレビで呼びかけ、408誌を集めて「第1回NTTタウン誌フェスティバル」を開催。その中から本誌「とうよこ沿線」が「第1回NTTタウン誌大賞」という栄えある賞を受賞することに・・・。1985年11月22日、品川パシフィックホテルでの授賞式には岩田忠利、鈴木善子、一色隆徳が出席。

「第1回NTTタウン誌大賞」を選考委員会代表・渡辺文雄さん(俳優)から授与される岩田と鈴木善子
当日全国各地から集まった受賞者の皆様

37
NHKテレビ「関東甲信越ネットワーク」に登場




 1986年1月13日放送。「第1回NTTタウン誌大賞」受賞の「とうよこ沿線」編集長ということで、NHK横浜放送局スタッフが当編集室に来室、岩田編集長の雑誌編集中の模様、横浜の街づくりについての意見などを実況中継。

38
神奈川テレビが「火曜特集番組」最終回編で
30分間放送の特集「ハイ、こちら編集室です」





 1986年3月26日放送。「とうよこ沿線」発行の目的、編集会議、取材、街中での広告募集、チラシ配りなど発行からPRまでの会員の活動を追って・・・。

39
住民が作る新聞『CROSS』創刊




 1986年5月、無料紙でタブロイド版。4面に本誌未掲載の生活情報、イベント情報などを掲載。配布は毎号会員が地域にポスティング。以後、6号まで発行し、人手不足のため廃刊。



「振り向けば34年」目次へ戻る 次ページへ