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1.「外国人と日本語で話す集い」
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申し込み殺到、定員の4倍強 |
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本会「東横沿線を語る会」主催青山スクール・オブ・ジャパニーズ後援の「第1回外国人と日本語で話す集い」は、驚くほどの反響があった。
読者とスタッフで定員いっぱい。そこへ朝日新聞の報道。開会時刻の直前になっても編集室の電話は鳴りっぱなし。
なお、会場は慶応義塾大学塾監局(いわゆる事務局))のご厚意で5教室と広い集会場を無料開放くださったもの。
申込者は定員30人の4倍を超えた。参加者は外国人が18人、日本人が37人、ほかに通訳が5人、計60名。ちなみに外国人の皆さんの国籍は米、英、独、仏、豪、比、台湾、イスラエルの8カ国。
(昭和55年*1980)10月19日(日)午後、風強し。日吉の慶応大学キャンパスはいちょうの葉が舞い、空は紺碧。
教室は5クラス、5グループが「子どものシツケ方の違い」「余暇のすごし方」の二つのテーマで真剣に話し合った。
その結果は、全員が広い会場に再度集合し、グループ代表が順次グループの総括意見を発表。それに対し参加者が質疑しディスカッションを終了した。
日本語が正しく伝えられたか幾分疑問が残るものの、楽しい意義ある第1回だった。
当日チェアマンとなった石川静枝さん、永島功一さんから当日の感想文を名文で寄稿していただきましたが、残念ながら割愛いたします。

「開会のあいさつ」――易しい日本語でゆっくり話すのがコツ―ー
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花束交換
のっぽの米国人・ワースさんと最年少の久保島紀子さん |
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以下の写真は3グループのみ。D・Eグループの皆さん、ごめんなさい!
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Aグループ
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Bグループ
おや、左から2番目にアルメルさんの顔が見えますね
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Cループ
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「第2回外国人と日本語で話す集い」予告
(昭和56年)1月25日(日)午後1時 会場は前回と同じ。テーマ:“旅行”(私の好きな所)
第2回は標記のとおり、ひらきます。日本人参加者の定員は先着30人。申込みはハガキに住所氏名、電話、職業、年齢、参加希望の理由を明記のこと。
会費(実費)と場所は後日、出席者に連絡いたします。
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