編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.317 2014.10.22  掲載 

       


  筆者:アルメル・マンジュノ
さん
   
  フランス人(女性)・港北区日吉本町在住

 

      日・仏、手紙の効用
         

  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載“復刻版”


   掲載記事:平成3年11月15日発行本誌No.55 号名「棉」
   


 
 「見て、あなたがくれた絵葉書、みんな壁に貼ったの。こうすると旅をしたみたいな気分になるでしょ」

 「日本にもまだあんな素晴らしい森があるなんて思ってもみなかったわ」

 フランスに帰るたびに、私の絵葉書が話題になります。本当のところ、こうしてずっと筆まめにしていなかったら、今ごろフランスには友達なんて一人もいなくなっていたでしょう……。

 さて、年賀状の趣向に頭を悩ます時節柄、今回は私の手紙談義にお付き合いください。




    毎日のように手紙を書く私


  以前、世間の人がみんな私みたいに丈夫だったらお医者様は暇で困るんじゃないかしらと言いましたが、今回は、もしそうなら、郵便局がテンテコマイの大忙しになるはずです。

なにしろ、私はほとんど毎日のように手紙を書いています。手紙といっても、主に絵葉書かカードを使い、文面もほんの数行だけですから、それほど大袈裟なものではありません。でも、フランス語かイタリア語か、英語か日本語でどんどん書いて出すようになったので、頂くほうも大分増えてきました。

 夜、一日の仕事を終えて帰ってきたとき郵便受に手紙が届いていると、マンションの階段を昇る足取りもぐっと軽くなります。それに、日本人の友人からの手紙だと、たいてい漢字に仮名がふってあったりして、優しい心遣いに嬉しさもひとしおです。日本語は独りで覚えただけなので、随分苦労しましたが、やはり時間の無駄ではなかったと今感じています。



4カ国語で手紙を書くアルメルさん

 しきたりを重んじる日本では、年賀状や暑中見舞い、誕生祝、卒業祝のように手紙をやり取りする時期が決まっているようですが、私はそれにとらわれずに書いています。招待や御礼のため、あるいはただ、挨拶というだけのため。ともかく、喜んでもらいたいという気持ちからすることですから、使うカードや絵葉書も相手のことを考えて選びます。幸い、最近はいい物がどんどん出回るようになりました。

 来日当初は絵葉書なんて10枚セットでしか買えず、ひどいものばかり入っていることがよくありました。

  しかし現在は10枚ともフランスの友人が喜びそうな立派なものになっています。また絵葉書、カードを問わず、つい見とれてしまいそうな日本や外国の写真をあしらったものや、白黒写真の凝ったものまであって、選ぶのに迷ってしまうほど。私が絵葉書やカードをもっぱら使うのも、写真の趣味がこうじてのこと。素晴らしい写真には人を驚かせ、夢を見させる力があります。それに気のきいた言葉が添えてあれば、素敵なメッセージになると思いませんか。




    気持ちを伝えるのに便利なカード


 
フランスには、あらかじめオリジナルなメッセージを印刷してあるカードが沢山あります。それを友人、恋人、場合によっては自分の妻や夫にも送ります。
 いくつか紹介すると、「そのうち週末にどこかへ行かないか」とか「しっかりやれよ」といったオーソドックスなものから、コミカルなデッサンとともに相手を笑わせる「ええ、生きてるのか、死んでいるのか」とか「あなたって、本当に最悪の性格だけど、友達だから好きだよ」といったもの、また、「君が必要なんだ」といった純愛路線から「土曜の夜は、あなたをどのくらい愛しているか見せてあげる」なんていうきわどいものまであります。

 ユーモア感覚や男女関係は国によって違うので、日本でこうしたカードが根付くとは思いませんが、口が余り上手ではない日本人は気持ちを伝えるのに便利ではありませんか。
 ともかく、外国人の友人ができましたら、こんなふうにしてでも友情を表現しないと疎遠になってしまいます。

 「返事を書こうと思ったんだけど、時間がなくて……」とフランス人の友人たちはよくいいますが、私は本気にしていません。フランス人で暇がないわけはないからです。
 だからといって咎めるつもりはありません。ただ、「綴り字に自信がないから、手紙は苦手だ
というのと同じ感覚です。

 フランスでは字の上手下手は問題になりませんが、綴り字はやかましく言われ、悩みの種。それに改革と称してたびたび綴りをいじるので、余計こんがらがってしまうのです。綴りに誤りがあっても私は眉をひそめたりはしません。
 かのナポレオンがジョセラィーヌに宛てた恋文にも間違いは随分あります。私だって、日本語で書くときはひどい間違いをしているはずですが、コンプレックスは感じません。間違いがあったほうが人間らしくありませんか。笑われたってご愛敬です。外国人なら誤りもチャーミングだと思います。

 それより肝腎なのは真心でしょう。どう書こうと手紙にはその人の人柄がにじみ出るもの。著名人の書簡集をひもとくとその感を強くします。
 以前、日本語の勉強に夏目漱石が子供に宛てた手紙を読んで感動した思い出があります。





     笑いの少ない日本こそ


 
どこの国にも言えることですが、きちんと書けるくせに、手紙を書かない人がいます。彼らは先程紹介したメッセージ・カードなど、「くだらない! 何の役に立つの?」と鼻の先で笑うでしょう。私はあえて反論はしません。 

 こういう人たちは今≠生きることしか頭になく、手紙を読み返すような趣味は持ちあわせていないのです。電話で済むのに手紙を書くのは面倒臭い、書いたものは後まで残るので何か拘束されるような感じがするし、時にはリスクもあるから嫌いだ、というわけでしょうか。

 私は電話も大いに活用しますが、やはり手紙のほうが好き。楽しいことばかりではない人生にひとさじの詩情とユーモアを与えてくれるような趣があるからです。テレビには笑いがあふれているのに日々の暮らしには笑いの少ない日本だったら、コミカルなカードを送ってみてはどうでしょう。また、漢字という美しい素材があるのですから、あれこれ趣向をこらすのも楽しいのではありませんか。

 厚かましいと思われるかもしれませんが、私は見ず知らずの人にも手紙を書きます。
 例えば、陶芸の展示会(私は陶器に目がないのです)で作品を買うとその作者へ書きます。「作品がどんな人の手に渡ったか分かれば作者も喜ぶわよ」と日本の女友達から勧められたのがきっかけでした。
皆さんも試してみたらいかがですか。

 最後に、これから長期間海外に滞在する予定の方に一言。
 自分のほうから積極的に手紙を書かなかったら、日本に残っている友達は手紙なんてくれませんよ。約束なんてあてになりません。手紙が来るのは初めの半年くらいでしょう。たとえ来たとしても「何か送ってくれ」とか「今度そっちへ行くから泊めてね」なんていう手紙ばかりです。

 たかが手紙かもしれませんが、その手紙に救われることもあります。
 19歳で、あの悲惨なべトナム戦争を体験した或るアメリカ人が、こう話していました。
 「今も自分が生きているのは戦地にいる間じゅう、手紙を書き続けてくれた友人のおかげだ」と。


                                     イラスト:俵 賢一(大倉山)

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