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世界踏破8回目、欧州5カ国走破の旅 |
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横浜市港北区錦が丘(最寄り駅菊名)に住む岡本孝之さん、欧州自転車の旅をするため、5月20日に横浜サイクリングクラブの仲間十数人とフランスに向けて旅立ちました。
リヨンからアルル、マルセイユ、パリと仲間たちとサイクリングを楽しみ、ロンドンからは、8回目の自転車一人旅に挑戦することになります。帰国は、8月下旬の予定。
岡本さんは、仕事がら海外出張が多く、40代の頃から自転車で世界をゆっくり見て回りたいと思っていたそうです。退職を機に夢の実現に向けてまっしぐら。01年からカナダ、米国、オーストラリア、ニュージランド、ドイツと各国横断28,600kmの距離を自転車で走破した経歴の持ち主です。
これから英国、ノルウェー、フィンランド、スウェーデン、デンマークの5カ国4000kmを自転車で無事に、走り終えることを願っています。
この連載原稿は道中の体験を岡本さんが、テントやユースホステルなどで手書きでしたため、まずその文字原稿がFAXでESNの岩田忠利会長宛に届き、続いて約1週間後に画像入りのメディアが空輸で送られてきます。
第1報は6月9日、スタート地点のロンドンから。第2報は6月21日英国・グラスゴーから。そして今回の第3報は、7月2日に北欧最初の訪問国ノルウェーに到着し7月8日オスロから届きました。第4報はヘルシンキから8月7日にノルウェーとフィンランドの貴重な写真の数々が届きました。
第4報お読みの皆さん、読後の感想などを掲示板に投稿して岡本さんを励ましてあげてください!
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第4報
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オスロ〜ホニングスヴォーグ(ノールカップ岬のあるマーゲロイ島)間の機上から。
氷河を抱いたノールウェー、スウェーデンの山々 |
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7月9日。ホニングスヴォーグの飛行場に降り立ったのは5人。
これから3キロ離れた町へ |
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7月10日。町から30キロ離れたノールカップ岬へ向かう途中、木のないツンドラ地帯。北緯71度の北極圏。
町を19時に出て21時過ぎに岬に着きました |
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岬にあるモニュメント。Midnight Sun(沈まぬ太陽)を
見ようと多くの観光客がバスやキャンピングカー、
乗用車で来ていました。
23時16分、23時16分、とても太陽を望めぬ雲行きでした |
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ところが、23時45分頃から北の空の雲は裂け、太陽が顔を出し、この日集まった多くの人たちの期待に応えて、私たちに微笑みかけてくれました。
この幸運をどう表現したらよいのでしょうか
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皆さん、見てください!
10日の太陽は地平線に沈むことなく、このまま11日
の太陽として昇るのです。まさしく“沈まぬ太陽”
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11日の太陽は、宿に戻った午前1時には昇り始めて、
島を明るく染めていました。宿のテラスから
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マーゲロイ島を脱出する地獄への入り口です。
7月12日朝9時、
車はたまに通るものの、サイクリストは私一人。
長さ7,000b。海底マイナス210bを目指し、
暗闇の世界に入っていました
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フィンランドへ |
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草を食むはトナカイの群れ(フィンランド語で「ポロ」、英語で「reindeer<レインディア>」です)
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ここも白夜の世界でしたが、あいにくの北の空は
曇りでした。7月13日泊まったラクセルブのユース
ホステルで
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ノルウェーとフィンランドの国境を示す標識は橋の上にあり、検問は一切なし。平和の証拠です。
片や同じ民族なのに韓国と北朝鮮のように、軍隊が常時監視の目が光っている国境もあり、世界を旅する者として前者のようにあることを願っています |
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7月15日フィンランドに入り、キャンプ中の私のテント
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森の中のトナカイ |
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白雲が際立つ青空
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道路を占拠するトナカイ
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森と湖と草原と
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目の前に大きな虹が・・・
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7月19日泊まった田舎の小さなユースホステル |
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北緯66度。北極圏を示す標識。この脇にサンタクロース村があります。
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7月25日。キャンプ場も宿泊施設もなく困り果て、
町の市民ホールに入って行くと、明日の展覧会
(個展)の準備をしていました。彼らに頼んで、芝生
にテントを張らしてもらいました。市民ホールと私の
テント(右側の黄色)。
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その晩、夜中に目が覚め、北の空には朝焼けが輝き始めていました |
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市民ホール |
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画家その作品 |
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路傍に咲くルピナス
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ノルウェーとフィンランド縦断のサイクリングの旅は終わり、昨日ヘルシンキに
入りました。
白夜のツンドラ地帯、クリスマスで有名なラップランド地方を通り、北極圏を抜け、
湖水地方を通過。その間20日間、森と湖と草原とトナカイ、さらに白雲たなびく青空
を愛でつつ、軽快に走ってきました。
しかし、最後の2日は疲労がたまったのか、体調が思わしくなく、最後の60キロは
列車を利用しました。日程が遅れていたため意地でもヘルシンキまで走ろうと、朝から50キロ走りましたが、もう今日中(7月31日)に着けないと分かった時点で列車の旅に
切り換えました。その間の走行距離1,640キロ。今回の旅で自転車で走った総距離は3,230キロです。
今後は、明後日(8月3日)にスウェーデン・ストックホルムに渡り、体調を整えて
最後の訪問国、スウェーデンで数百キロ走って帰国します。
2008年8月1日 ヘルシンキのユースホステルで。 |
第3報
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スコットランドに入り、起伏が増えたうえに、天候がめまぐるしく変わり、雨の量も増えました。
走るペースが落ち、ネス湖にたどり着いたのは6月25日。日程がだいぶ遅れ、英国でのサイクリングの旅は、ネス湖北端の町、インヴァネス(Inverness)で終わらせました。
その後は列車で移動し、途中エディンバラ城に寄り、ニューカッスルに出ました。
7月1日、英国最後の訪問都市、ニューカッスルを大型クルーズ船で離れ、7月2日いよいよノルウェーに入りました。
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アーカード城が、ネス湖の神秘性をいっそう引き立たせています |
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1296年エドワード一世率いるイングランド軍に破壊されたまま残る城内 |
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インヴァネス郊外にあるコーダー城。シェイクスピア作「マクベス」の舞台です |
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城というより館(やかた)で内部の調度品および庭園が素晴らしい。 (内部の写真は撮影不可) |
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エディンバラ城はイギリスの歴史そのもの |
エディンバラ城は1000年以上続くイングランドとスコットランドの抗争の場であり、イギリスの歴史そのものを語る場であります。そして今でもしばしば聞く「スコットランド独立論」・・・。
スコットランド人は、外国に行ってもイギリス人とは言わず、スコットランド人と言います。イギリスという言葉の中にスコットランドが埋没することを嫌がります。
とかく日本人は、イングランド即イギリスと思ってしまいます。が、それではいけないのです。私もイギリス人と接するときは,その点に気をつけています。
この城は、規模といい、立地条件といい、堅固さといい、城本来の意味からみて超一級の城です。眺望も大変良く、歴史を振り返りながら2時間余りを楽しく歩きました。
途中出会った地元のおばさんが「7月上旬に,エリザベス女王さまがエディンバラに来られるのよ」と嬉しそうに喋っていたのが印象に残っています。
城全体の素晴らしさを示す写真が撮れなかったのが残念です。
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スバらしいエディンバラ城 |
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歴史と眺望を求めて世界中から訪れる観光客 |
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抗争を物語る大砲が今も・・・ |
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城の正面入り口 |
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北欧最初の訪問国、ノルウェーへ |
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イギリスからノルウェーに渡る船上 |
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約20時間の船旅。私にとって寝る場所も食事も最高に贅沢な時間でした |
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ノルウェーを象徴するフィヨルドの景観 |
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ノルウェーを代表する風景、フィヨルドを船から、または列車とバスを乗り継いで見学しました。
これだけ豪快なフィヨルドを見られるのは地球上でもこことニュージーランドとアルゼンチンでしょうか。
私が言葉で語るより写真を見ていただいたほうがよくお分かりでしょう。 |
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島と島を結ぶ橋 |
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この写真は島と島を結ぶ橋。その下を船が通過します。川ではなく海上です。
フィヨルドの狭い奥にも町や村があり、観光と果物(主にリンゴ)で生計を立てています |
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駅のまん前に水煙あげる大瀑布 |
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駅で見られる滝。滝の水しぶきが駅も列車も
濡らします |
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駅ホームで水しぶきを浴びながらシャッターを切る観光客。
この激流は駅の下を流れ落ちていました
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一昨日、ノルウェーの首都、オスロに着きました。明日は欧州最北端、ノールカップへ移動し、
そこからサイクリングの旅の再スタートです。
ちなみに今まで走った距離は、1600キロです。 2008年7月8日 オスロにて |
第2報 |
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ロンドンではウエストミンスター寺院、国会議事堂、バッキンガム宮殿、大英博物館、タワーブリッジ、ロンドン塔など皆様もご存じの観光地を観て回りました。
その途中、遭遇したのがエイズ撲滅のウオーキング大会です。人種の坩堝(るつぼ)のロンドン、肌の色の異なる多くの人々が参加、とくにかつての大英帝国の植民地、アフリカ・インドをはじめ、東南アジア・中国系などの人々が、ゴール地点のタワーブリッジ近くの公園に集まり、有名歌手も参加してセレモニーが行われていました。
ロンドンを離れて自転車のたびを始め、初日に雨にたたられましたが、ほぼ順調に進んでいます。
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エイズ撲滅のウオーキング大会でタワーブリッジ近くの公園に集まった人々 |
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茅葺屋根の古い家 |
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6月4日、ロンドンから110キロ離れた田舎町、Hurstbouneで泊まったイン(Inn=旅館)です。朝の出発時に宿の女主人に撮ってもらいました。 |
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左の写真の隣、茅葺屋根の家の前で |
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緑の草原に忽然と立つ4500年前の巨石遺跡、ストンヘンジ。世界遺産で、歴史的にも謎が多く、神秘的な雰囲気をかもし出していました |
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町外れの古城。今はホテルとして使われています |
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ブリストル(Bristol)とヒアフォード(Hereford)の間は自転車で走らず、2年前ベルギーで出会ったイギリス(ウェールズ)人の家にお世話になり、近郊を車で案内してもらいました。その家の庭はガーディニングが好きな奥様が育てた花々が咲きそろっています |
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左は泊めていただいたイギリス人夫妻。3人で歴史のある隣町を散歩しました |
イギリス中西部の丘陵地には20を超える湖が点在します。羊が草を食む牧場、森林と渓流、それらが織りなす美しい景観が広がる公園・・・。穏やかで静か、心安らぐ大空間です。
公園内の町や郊外には、切り石造りのレイクランド様式の家々が並び、この地に溶け込んでいます。この地から“ピーターラビット”が生まれたのも納得します。
当初、2日でここを駆け抜ける予定でしたが、この景色に魅せられて2日も多く滞在し、1日は自転車を止め、ウオーキングを楽しみました。ロンドン以来の日本人と会いました。団体旅行の2グループ、神戸からの3人の中年女性グループ、東京からの若い一人旅の女性です。その一人旅の女性はスケッチを楽しんでいました。
彼女らが帽子をかぶっていましたし、遠目には何人連れか分からなかったのですが、近づいて日本女性と分かり、穏やかなこの場所でゆったり過ごす、まさにこの地にピッタリの光景に、思わずシャッターを切りました。もちろん、本人承諾のもとに。
日吉のPC教室でパソコン水彩画を習っている皆さん、ぜひ一度、この湖水地方に絵の具持参でこの地の素晴らしさを体感してください! 寿命が何年か延びること、請け合いですよ。
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大小20を超える湖があるイギリス中西部、湖水地方 |
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一面の草原の中で草を食む牛や羊 |
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こんな大荷物を自転車に積んで走っているのです。
左上が車道。手前が自転車専用と人道 |
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サイクリングの途中で歩いて丘に登りました |
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300年前に川の上に造られた切り石造りの可愛らしい家。1階は今も保存活動をするグループのショップとして使われています |
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2008年6月21日 グラスゴーのユースにて
追伸
昨日までの走行距離は、1289キロです。ネス湖まで、あと最低3日間ほど掛かると思います。
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自転車を停めてひと休み! これからネス湖の“ネッシーくん”をめざし、がんばりま〜す! |
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退職後、毎年行っているサイクリング一人旅を始める前に、今年は、横浜サイクリング・クラブの仲間、男性6名、女性4名(うち一組が夫婦)計10名と一緒に、グループサイクリングを南フランスで楽しみました。
5月20日に日本を発ち、同日南フランス“リヨン”に到着。翌21日、午前中、日本から持ち込んだ自転車を組み立て、午後、足慣らしにローヌ川畔の街“ヴィエンヌ”まで30km走りました。
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田舎道を走る仲間たち |
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丘の上から、教会を中心に集まる田舎の村を望む |
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道路端に咲き誇るポピーの群落を愛でる |
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朝出発前、荷物をサポートカーに預け出発準備 |
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岩石の上の古城を眺めつつ・・・ |
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オランジュの古代劇場 |
南仏プロヴァンス地方は、2000年前ローマ帝国の重要な領地でした。そのためこのあたりは、フランスと思えないローマ帝国の時代の遺跡が多く見られます。写真はその一つ、古代劇場です。この地方でいくつも残る中で、ここオランジュが世界でも保存状態が良いそうです。今も各種の催し物に使われています。ホテルに自転車を置き、散歩がてら見てまわったとき、そこは、今晩行われるコンサートの準備中でした。
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皆さんもご存じの「♪アヴィニョンの橋で踊ろうよ、踊ろうよ・・・」の歌で有名な「アヴィニョンの橋」です。正式名称「サン・ベネゼ橋」。当初は向こう岸まで全長900mの橋でしたが、度重なるローヌ川の氾濫で、今は、4本の橋桁と礼拝堂(左から3本目の橋桁の上)が残るのみです。 |
アヴィニョンの橋(サン・ベネゼ橋) |
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一緒に走った仲間は平均年齢、男性66歳、女性63歳。元気なおじさん、おばさんたちです。1日平均67km、最高96km。6日間で合計404km走りました。鶴見川沿いのサイクリングコースならママチャリでもOKです。皆様も走ってみてください。80歳を超えても現役で走っている人もいます。生涯スボーツとして今から始めても遅くはありません。足腰に負担がなく健康によく、地球温暖化にもやさしいスポーツです。
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同行の仲間 |
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仲間との旅は28日に終り、帰国する皆とパリ空港で別れました。
そこでシニアネット会員貞広孝さんの出迎えを受け、3月以来の再会を楽しみました。出発前に安い宿を貞広さんに頼んでありましたが、結局、見つからず、彼の家に一泊のお世話になりました。
明るくさわやかな奥様で生粋のパリジェンヌです。貞広さんが、どのようなきっかけで奥様とお知り合いになれたか、ちょっと聞いてみたかったのですが・・・。とにかく奥様はフランス語、英語、日本語の3カ国語がとてもお上手なバイリンガル。貞広さんが母国日本になかなか帰れないワケが分かるような気がします。
夕食は、フランスでも人気の料理、“クスクス”をご馳走になりました。元フランスの植民地北アフリカ発祥の料理で、大変美味でした。
貞広さんには、28日パリ到着時に、また29日ロンドンへの出発時に送迎を受け、大変助かりました。それではまた・・・。
ロンドンにて 5月31日 岡本孝之
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